イスラエルの歴史家が予見「ハマス紛争」次の展開 1948年以降で最大の危機、和平の機会はあるか?

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イスラエルは、1990年代にオスロでの交渉で和平の機会を作った。パレスティナ人や一部の外部オブザーバーの視点からは、イスラエルの和平の申し出が不十分で傲慢なものだったことは私も承知しているが、それでも、イスラエルがそこまで譲歩したことは後にも先にもない。この交渉の最中に、イスラエルはパレスティナの自治政府にガザ地区の支配権を部分的に譲り渡した。その結果、どうなったか? イスラエルは、それまで経験したなかで最悪のテロ活動にさらされた。イスラエル人は、バスやレストランが毎日のように爆破された2000年代前半の日常生活の記憶に、今なおつきまとわれている。このテロ活動のせいで、何百人ものイスラエルの一般市民が亡くなったばかりでなく、和平のプロセスとイスラエルの左派も葬り去られた。イスラエルの和平の申し出は、譲歩が足りなかったのかもしれない。だが、それにテロ行為で応じるしかなかったのだろうか?

目指したのは「中東のシンガポール」

和平プロセスが頓挫した後、イスラエルは次の実験として、ガザから撤退した。2000年代半ば、イスラエルはガザ地区全域から一方的に撤兵し、地区内のすべての入植地から引き揚げ、国際的に認められた1967年以前の国境線まで退いた。たしかにイスラエルは、ガザ地区の部分的封鎖とヨルダン川西岸地区の占領を続けた。それでもイスラエルにとって、ガザ地区からの撤退は依然として重大な一歩だったので、この実験の結果がどうなるかを、イスラエルの人々は固唾(かたず)をのんで見守った。そして、パレスティナ人がガザを、中東のシンガポールとでも呼ぶべき、繁栄する平和な都市国家に変えようと真摯に努力し、自治の機会を与えられれば何ができるかを世界やイスラエルの右派に示すことを、左派の残党は願った。

避難民用のテント
ガザ西部の国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営するキャンプにある、避難民用のテント(写真:Bloomberg)

もちろん、部分的封鎖の下でシンガポールのような国を築くのは難しい。それでもなお、誠実な試みはできたはずだ。そうしていれば、イスラエル政府は外国勢力と国民から、ガザ地区の封鎖を解除し、ヨルダン川西岸地区についても公正な合意に達するようにという、もっと大きな圧力がかかったことだろう。ところが、ハマスがガザ地区を武力制圧してテロ基地に変え、そこからイスラエルの一般市民に対する攻撃を繰り返した。こうして、この実験も失敗に終わった。

イスラエルの左派の残党は、これで完全に信用を失い、ベンヤミン・ネタニヤフが権力の座に就き、彼のタカ派の政権が成立した。そして、ネタニヤフが先頭に立って新たな実験を始めた。平和共存が失敗に終わったので、彼は暴力的共存政策を採用した。イスラエルとハマスは毎週のように攻撃し合い、ほぼ毎年大規模な軍事作戦を展開したが、それでもイスラエルの一般市民は15年にわたり、フェンスを挟んでハマスの基地から数百メートル以内で暮らし続けることができた。イスラエルの熱狂的なメシア(救世主)信仰者たちでさえ、ガザ地区の再占領にはほとんど熱意を示さなかったし、右派さえ、ハマスも200万を超える人々を統治する責任を負えば、徐々に過激でなくなるだろうと期待した。

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