ヨーロッパ中心の近代科学史が「でっち上げ」な訳 グローバルな文化交流という忘れ去られた事実

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そしてインドではある裕福な大王が、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒、キリスト教徒の数学者を雇って、それまででもっとも精確な天文表を編纂させた。

これらの事実を踏まえれば、近代科学の歴史をまったく違った形で理解できる。本書で言いたいのは、近代科学の歴史はグローバルな歴史における数々の重要な瞬間に当てはめて考える必要があるということだ。

15世紀の南北アメリカの植民地化から話を始め、現代へとたどっていく。その途中で、16世紀の新たな天文学から21世紀の遺伝学まで、科学史における大きな発展について探っていく。いずれの出来事についても、近代科学の発展はグローバルな文化交流に負っていたことを示したい。

今の世界に求められる歴史観

しかし強調しておくべきは、それがグローバリゼーションの勝利という単純な話ではないことだ。

そもそも文化交流といってもさまざまな形があり、その多くは非常に搾取的である。近世の大半を通して、科学は奴隷制と帝国の拡大によって方向づけられていた。そして19世紀になると産業資本主義の発展によって一変した。

さらに20世紀の科学史は冷戦と脱植民地化に当てはめて説明するのがもっともふさわしい。しかしこのように大きな力の不均衡がありながらも、近代科学の発展には世界中の人々が著しい貢献を果たした。

どの時代に目を向けようとも、ヨーロッパだけに焦点を絞ったストーリーとして科学の歴史を語ることはできないのだ。

今日、そのような歴史観がかつてなく求められている。科学の世界のバランスは大きく変わりつつある。中国は科学研究予算の点ではすでにアメリカを追い抜いているし、ここ数年、中国を拠点とする研究者の書いた科学論文の数は世界中のどの国よりも多くなっている。

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