焼肉店の「ロース」ずっと定義が曖昧だった不思議 消費者庁が改善要請も、どんな背景があるのか
佐々木道雄『焼肉の誕生』によると、朝鮮半島の焼肉文化が最初に渡来し定着した場所は大阪の猪飼野、現在の鶴橋駅東周辺地域だそうです。
1938年に出版された、高権三による『大阪と半島人』には、猪飼野の朝鮮半島出身者たちがカルビチプ(焼肉屋)、センマイ屋で焼肉を楽しむ姿が描かれています。前者が現在のカルビなどの焼肉の基礎となります。
佐々木は、カルビチブは“当初は、介添えの人が客の前で焼いて、皿に盛って食べるのを勧める形式のものだったと予想される”つまり朝鮮半島式で、店員が焼いて客に提供する方式であったとしています。
猪飼野にカルビチプ、センマイ屋が生まれた頃、同じ大阪では日本式の焼肉が行われていました。
日本式焼肉では、ロースが使用されていた
その日本式焼肉は自分で焼く方式。しかもそこでは「ロース」という定義が曖昧な肉が使用されていたのです。
役者の古川緑波は、作家の谷崎潤一郎に誘われて、大阪で日本式の焼肉を食べていました。猪飼野にカルビチプが登場した1930年前後のことです。
“結局、宗右衛門町の本みやけへ行って、牛肉のヘット焼を食おうということに話が定って、円タクを拾って乗る。”(古川緑波『ロッパの悲食記』)
ヘット焼とは、鍋を使った焼肉のこと。鍋に牛脂をひいて焼く場合は「ヘット焼」、サラダオイルを使う場合は「オイル焼」、バターで焼く場合は「バター焼」という名で提供されていました。
「本みやけ」は「いろは總本店」という明治時代からのすき焼きチェーン店が、高級ブランドとして展開したチェーン。戦前の最盛期には、いろは/本みやけ全体で近畿圏で20以上の店を展開していました。そこでヘット焼などの鍋焼肉が提供されていたのです。
この日本式鍋焼肉、現在も京都の老舗すき焼き店「三嶋亭」で「オイル焼」として提供されています。焼いた肉を独特のタレと大根おろしをつけて食べるのですが、すき焼きと同じく、最初は仲居さんが手本を見せて、その後は自分で焼く方式です。
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