"男尊女卑的な価値観"が「依存症を助長」の深刻度 「男らしさ」「女らしさ」が人びとを追い詰める
斉藤さんの新著のタイトル『男尊女卑依存症社会』(亜紀書房)には、日本社会のあり方そのものが、男尊女卑的な考え方に依存している、というメッセージが込められている。
依存症は完治しない病気だ。斉藤さんのように自分が依存症であることを認め、今日一日「男尊女卑的な価値観にとらわれていることを手放す」営みをくり返すしかない。
そのために重要なのが、斉藤さんが沖縄で経験したように、自分の弱さをありのまま、人に話すことだ。
「居酒屋で、自分の武勇伝を同僚に語っても効果はありません。自分を立派に見せようとせず、何が生きづらいのかを正直に話すことが大事。同じ苦しみを抱えた仲間に弱さをさらけ出し、楽になる経験を通じてともに回復を目指すのです」
「男らしさ・女らしさ」から「自分らしさ」へ
残念ながら、日本には男性が弱さを見せられる機会がほとんどなく、「男は強く、女の上に立つべき存在だ」という男尊女卑の価値観が温存されている。
斉藤さんがこの種のテーマについて取材で語ったり、著書を出したりするたびに、斉藤さんの職場には匿名の男性たちからクレームの電話が入るのだという。
彼らは電話に出た女性スタッフに「日本は女性のほうが優遇されている。女尊男卑だ」などとまくし立てた挙句、斉藤さんが電話に出ようとすると「それには及ばない」と切ってしまう。女性相手だからこそ優位性を誇示できる、典型的なマンスプレイニングだ。
性犯罪が起きたときも同じように、「露出の多い服を着ているほうも悪い」「深夜に夜道を1人で歩くからだ」などと、被害者側に非があるかのような声があちこちで聞かれる。被害者を二重に傷つける明らかなセカンドレイプだが、「このような言説によって最も得をするのは、本来罪を負うべき加害者です」と、斉藤さんは強調する。
「社会から期待された『男らしさ』『女らしさ』を生きることに、息苦しさを感じる日は必ず来ます。その前に男尊女卑を手放し、新しい『自分らしさ』を再構築すべきではないでしょうか」
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