小田急線の「要衝」相模大野、知られざる駅の裏側 人に例えると心臓?肝臓?商業施設が入る巨大駅

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1980年刊行の『小田急五十年史』は、1889年の大野村発足当時について「村名すらなく単に相模野とのみ記されていた江戸時代と大差ない姿が、そのころまで続いたのである。大野の村名はもちろん相模野にちなんだもの」と解説する。町田や八王子がまだ神奈川県に属していたころの話だ。

その後、陸軍の施設が移転してきて軍都として変貌を遂げることになる。相模大野駅は1938年4月1日、「通信学校駅」の名称で開業。1941年1月1日に現在の駅名となった。五十年史によると「防諜上の理由による」。小田原方へ2つ隣の「士官学校前駅」は「相武台前駅」と改称した。同年、大野村は合併によって相模原町となった。

小田急社内では「大野」と呼ぶことが多い。ホームは2面4線で、南側の1・2番線が下りの小田原・片瀬江ノ島方面、北側の3・4番線が上りの新宿・千代田線方面。その間に上下の通過線がある。かつて新宿―相模大野間では江ノ島線の電車を連結して走らせる運用などがあり、同駅で頻繁に分割・併合の作業をしていた。いまでは土休日に30000形「EXE」「EXEα」、60000形「MSE」を使用する一部のロマンスカーでこの伝統の作業を見ることができる。

巨大な駅ビル、その裏側は?

ホームの階上に広大なコンコースと、中央、東口の2つの改札口がある。1996年に開業した駅ビルは、レストランやファッション・雑貨などの専門店で構成する商業施設「相模大野ステーションスクエア」。南北自由通路を挟んで、東側のA館と西側のB館に分かれる。中央改札口はA館の3階部分に位置する。B館の上層階には「小田急ホテルセンチュリー相模大野」が入っている。

相模大野管区長兼相模大野駅長の辻周児さんは「通勤客に加えて、小田原線と江ノ島線と乗り換える学生の姿が目立つ」と駅の特徴を話す。そのうえで「江ノ島線を抱えていて運転の要、間違いなく心臓部。新宿には35分、片瀬江ノ島にも35分、箱根へは約1時間。どこにでも簡単に行ける」と地の利を挙げる。

相模大野管区長・駅長の辻氏、副駅長藤田氏
相模大野管区長を兼ねる辻周児相模大野駅長(左)と藤田修一副駅長(記者撮影)

東口は地味な印象だが、この改札を出て左の通路を進むと北出口。北里大学相模原キャンパスへのバス乗り場がある。右は南出口で、どちらも外に出るまで屋根と壁に囲われた長い通路。雨の日も濡れずに出口まで移動できるようになっている。相模大野管区の藤田修一副駅長は「階段の下までが構内なので終電の後、巡回に行くのが大変」と話す。

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