嫌われる人が「無自覚にやっている」ヤバい話し方 望まれてもいないのにアドバイスするのはNG
しかし、私は、とくに人から悩みを相談されたとき、意見を求められたときなどに、「絶対に~したほうがいい」「絶対に~だ」と言うことはめったにありません。
「どちらかといえば、こうしたほうがいいと思う」「いろいろな意見があるけれど、私はこう思う」といった言い方をするようにしています。
完璧な解決策はそうなく、とても断言はできない
クイズや試験問題ならともかく、人々の抱える悩みや世の中の問題に、100%完璧な解決策など、そうはありません。たとえその時点では「いい」とされていても、数年後にはまったく評価が変わってしまうということもしばしばあります。
また、人それぞれ性格も価値観も立場も違いますし、同じ出来事を見ても、感じ方、とらえ方は人によって異なります。
予知能力や透視能力、テレパシーなどを持ち合わせているなら話は別ですが、私が知りえることなどたかが知れています。そう思うと、とても断言はできないのです。
そして、おそらく多くの人は、物事を決めつける人より、そうでない人を話しやすいと感じるのではないかと思います。
たとえば、今の仕事や職場、あるいはパートナーが自分に合わない……と悩みながら、
「転職したところで、次の仕事が自分に合っているかどうかわからない」
「会社を辞めて、食べていけるかどうか不安」
「この人と別れたら、もう新たな恋ができないのではないだろうか」
「この人にも、いいところはあるし」
といった迷いを抱いているとき、相談した相手から
「絶対に会社を辞めたほうがいい」
「絶対に辞めないほうがいい」
「絶対に別れたほうがいい」
「絶対に別れないほうがいい」
などと言われたらどうでしょう。
たまたま自分の選択と同じであれば元気づけられ、背中を押されるかもしれませんが、たいていは、「どうしてそう言いきれるのか」と反発したくなるのではないでしょうか。
断定的な物言いをする人に対し、上から目線で偉そうと感じることもあるでしょう。