38歳でデビュー「夏目漱石」逃げの姿勢で開けた道 「吾輩は猫である」に至るまでの波瀾万丈人生
周囲のイギリス人みんなからバカにされているのではないか――という被害妄想に陥った漱石。留学した当初こそよく街へ繰り出していたが、大学を休んで部屋に引きこもるようになった。留学生仲間とも会わなくなり、真っ暗な室内で泣いている姿を下宿先の大家に目撃されている。すべてから逃避せずにはいられなかったのだろう。
そんなとき、文部省に送る報告書を白紙で提出したことから、日本では「漱石は発狂した」とまで噂されて、帰国を促されている。
実際のところは『文学論』につながる壮大なテーマに取り組んでおり、研究のメドがまだついていなかった。それにもかかわらず、報告書を求める文部省に漱石が反発。白紙で送ったところ、思わぬ騒ぎになったようだ。
「ロンドンで暮らした2年間はもっとも不愉快な2年間であった」
漱石はロンドン留学時代をこう振り返ったが、帰国しても鬱屈が消えることはない。東京帝国大学で職を得た漱石に、親戚から経済的な援助を求められるのも、ストレスの種となる。
人間不信が募る漱石に、転機が訪れる
人間不信はひどくなるばかりで、家族にもきつくあたるようになった。
もはやどこにも逃げ場がないかのように思えた漱石。だが、友人の高浜虚子が「気晴らしに小説でも書いてはどうか」と誘ったことで、人生が一転する。
筆をとった漱石によって書かれたデビュー作こそが『吾輩は猫である』だった。
つらい現実から物語の世界に逃げ込むことで、漱石は38歳にして天職を得たのである。
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