日本を増税でも賄えない「借金大国」にした真犯人 1965年までは「無借金国」だったのに…
しかし、高度経済成長期を終えた頃に、国債発行額が大きく増えてしまいます。その原因の1つはオイルショックです。1973年10月6日に始まった中東での戦争をきっかけに中東の石油産出国がいっせいに石油の価格を上げました。石油は色々な輸送機械の燃料に使われるし、あらゆる商品の原材料でもあります。だから、石油の値段が急激に上がれば物価も急激に上がることになります。
石油が安く手に入るということが日本(世界もですが)の経済を支えていたので、この石油危機の影響で世界中の経済成長率が鈍化しました。狂乱物価ともいわれる物価の上昇に給料が追いつかず、消費も停滞します。経済成長ができていないと税収も足りなくなるので、増税が必要になります。
でも、国民の生活が苦しいときに、増税ができるでしょうか。誰もそんなときに増税をうたう政治家を支持しないでしょう。だから、借金をしてその場しのぎをする。こうして、借金が増えていったのです。
社会保障費も増大していった
オイルショックの他に、借金が増えたもう1つの理由は、社会保障費の増大です。一般会計における社会保障関係費増加率と、社会保障関係費が占める割合の推移を見てみましょう。
1973年度から、社会保障関係費が大きく増加しているのが分かります。増加率でいうと、1973年度が30%超、1974年度が40%超で、1975年度もまた30%を超えています。3年連続で一般会計における社会保障関係費の上昇率が30%を超えるような現象は後にも先にも発生していません。
これだけ社会保障費が上昇したのには、急激な物価上昇も影響しています。物価が上がれば、それに合わせて社会保障費も上げていかないと追いつかないためです。しかし、社会保障関係費の一般会計に占める割合が1973年度あたりから急激に上昇していることから、その原因が物価の上昇だけではないことを示しています(物価の上昇だけが原因であれば歳出全体も増大するので、割合が急激に高くなることはありません)。
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