ChatGPTが「愛されるロボット」になるための秘訣 弱いロボット生みの親に聞くAIと人間の関係性
これらを含む多くの課題がある一方で、生成AI自体にはすごく可能性がある。人間に補ってもらいつつ人間をサポートするものが作れると、関係性が縮まるだろう。もう少し謙虚だったら生成AIの弱さが見えてくるわけで、そこを自覚できる生成AIだったら面白いはずだ。
まだ計画中だが、僕らはもっと言葉足らずで(自分の不完全さや弱さを自覚できるような)謙虚なChatGPTを作ろうと考えている。使える能力は使いたいが、あのままでは完結してしまっている。
――AGI(汎用人工知能)が将来生まれるとして、弱いロボットとは別々に存在していくのでしょうか? それともAGI自体が、弱いロボットの要素も持ち合わせる必要がありますか。
僕らは「アクターネットワーク理論」をベースに考えることが多くて、例えばロボットを作る際、3Dプリンターはそこにあるだけでは価値はない。それを使える学生や、アイデアがある人との関係性の中で、本来の価値が生まれてくる。
そういうネットワークの中にAIがはまって、新たな価値を求められれば、うまく共存できるだろう。独りよがりになって人間が「付き合いきれない」と判断すれば、排斥されてしまうかもしれない。
ただAGIも段々あざとくなってきて、自分の弱さをデザインして人との関係性を見出すようになれば、いやらしいなと感じる。つまり本当はちゃんとできるのに、「ちょっと僕弱いんですよ」と振る舞うことだ。
僕らはロボットを製作するとき、あざとくなるからあえて弱くすることはしたくない。人間もよく考えたら、もともと不完全だから弱いわけで。あえて弱くするのは違う気がする。
ChatGPTには関係性も有能感も生まれない
――効率性だけでなく、非効率性にも価値を見出していく必要がありますね。
例えばチキンラーメンにあるくぼみは、卵を落とすためのものだと思われているが、単にヒントを与えるだけで相手を強制しているわけではない。そこに卵の代わりに刻み葱を落としてみようかと、人の工夫を引き出す余地を与えている。
チキンラーメンのオリジナルの味と自分の工夫のコラボの中で、自分の自律性が担保されると同時に、有能感と関係性がある。それがウェルビーイングをアップさせることにつながる。
弱いロボットも情報をすべて提供しているわけではなくて、人間がどう助けるかは、その人の自由だ。必ずしも効率性を目指しているわけでもないし、自分たちでゴミを見つけるわけではなくて、一緒に見つけていく。
今まで利便性がなんとなく人を幸せにすると思われていたが、与えられたら、「何か違う」「物差しを変えて、もう少しウェルビーイングを意識するべきではないか」という疑問が同時多発的に生まれてきている。その中の1つの解として、弱いロボットがある。
今のChatGPTは関係性が生まれるわけではないし、こちらが賢くなる有能感が出るわけでもない。本来自分たちが求めているものは、効率性や利便性一辺倒のものとは、違うのかもしれない。
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