パナソニック女性役員には"もうひとつの顔" 転機は30代、「音楽の専念を考えたことも」

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――20代は、どんな研究者生活でしたか。

私が入社したのは1986年。ちょうど1982年にCDプレイヤー1号機が発売され、いよいよ音楽もデジタル時代へという変わり目の時期でした。社内では音響機器の新規開発プロジェクトが立ち上がり、そこに入社時から関わりました。

当時は、評論家が「デジタルの音質は悪い」などと酷評していた時代。アナログが100年間かけて完成させた成熟した音を、どうやってデジタルで再現できるのか、試行錯誤しましたね。

1988年に開発したのが、壁面型の薄型スピーカー。ウィーン国立歌劇場でも使っていただき、薄くてもいい音を出せると好評でした。当時、世界にない製品を生み出すことが目標だったので、まずは自分の聴感を育てようと思い、朝会社に行って、毎日リスニングルームで1時間、音を聴いてから仕事を始めていました。朝から晩まで仕事尽くしで、ピアノからも離れていました。それでも、やりたい研究開発を存分にできて、20代はめちゃくちゃ楽しかったですね。

30代で抱いた危機感と迷い

おがわ・みちこ●1962年生まれ。86年に松下電器産業(現パナソニック)入社。音響器機の企画、研究開発などに従事。2011年、理事に就任。15年4月から現職。日本室内楽振興財団理事なども務めた

――1993年に新規開発プロジェクトが解散したそうですね。

バブルの影響もありましたが、その頃から社内のオーディオの注力分野が、映像に傾いていったのです。音そのものの存在感が大きかったのが、映像や情報と一体となった中での音、というふうに時代の流れで位置づけが変わっていった。

松下電器でも、音響研究所が映像音響研究所になり、その後、映像音響情報研究所、マルチメディア開発研究所へと変わった。自分が身を捧げてきたオーディオの市場が縮小していく。当時は危機感がすごくありましたね。

――30代はどんな時期だったのですか。

自分が傾倒した分野が衰退する中、このまま仕事を続けていいか、迷いました。しかも30代前半といえば、女性は結婚を考えたりもする時期。当時、長期休暇でニューヨークに旅に出て、1人で考える時間を作りました。辿り着いた結論が「まだ会社で何かやり残しているのではないか」と。それを見つけてやるべきでは、という気持ちが大きくなっていったんです。

また、20代の頃は忙しくてできなかったピアノの演奏も再開しました。きっかけは上司に誘われて、大阪のライブハウスで演奏したこと。その上司はニューオーリンズジャズバンドのドラマーで、そのニューオーリンズをルーツとするストライドという奏法にはまりました。日本ではほとんど知られていなかったので、弾けるようになって、日本に紹介したいと思ったんです。自分のスタイルをつくろうと、ジャズの巨人のCDを聴きまくりました。

その後、縁あって2000年から5年続けて、米国フロリダのジャズフェスティバルにも出演しました。そこで向こうの音楽のプロデューサーに声をかけられ、CDを出すようになったのです。

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