80過ぎて「病院要らずの人」が健診より重視する事 五木寛之×和田秀樹(対談・前編)

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和田秀樹さん

和田:「自分の体の声を聴く」というのは、すばらしい言葉ですね。たいていの人は、自分の体の声よりも健康診断のデータのほうが正しいと思ってしまいます。でも、人間には個人差があるので、煙草をすぱすぱ吸って100歳まで生きる人もいれば、健康診断のデータは正常なのに60代で亡くなる方もいる。データだけを信じてしまうと、体の声を聴けなくなるんですね。

たとえば私は、高齢者専門の医者として働いていた病院で、年間100例ぐらいの解剖結果を見ていました。それでわかったのですが、70代後半で動脈硬化のない人は1人もいません。でも検査データがなまじ正常だったら、動脈硬化の心配をたぶんしないと思うんです。だけど心筋梗塞になるとしたら、絶対になにかしら予兆があったはずです。

五木:その予兆が「体の発する声」ですね。その声を聴く謙虚さを、今の現代人は失っている感じがします。

和田:おっしゃるとおりですね。

確率論で自分の体はわからない

五木:もちろん科学は信用しているけれども、自分の生き方に関しては、実感を大切にしてきました。自分の体に関してもそうです。

和田:検査データが正常だったら病気にならないわけではないし、異常値だらけなんだけど何となく長生きする人もいるわけですからね。その分かれ道にあるのが、体の発する声を聴くことだと思います。「あれ、おかしいな、普段と違うな」と思ったら、五木さんのようにはできないとしても、たとえば医者に行ってみる。

私も糖尿病と高血圧がけっこう重症で、人工的なものが嫌いだから薬も5年ほど飲まずにいたのですが、心臓喘息とか不調が出てきて、薬の量を調整して飲んでいます。血糖値や血圧を「基準値にする」のではなく、自分の体調を見ながらです。

そういう体の声を大事にしたほうがいいと思うのですけれど、いまの西洋医学は確率論になってしまっているんです。

確率論って、個人には当てはまらないことがあるわけですよ。よく「ほめて育てたほうがいい」という子育て論があります。仮に教育心理学者たちの実験で、ほめたほうが成績が上がる子が7割いて、叱ったほうが成績が上がる子が3割いたとしますよね。その場合、学問的に見れば、ほめたほうがいいことになります。だけど、自分の子どもはいくらほめても成績が上がらないんだったら、「叱ったほうがいい3割に入ってるんじゃないか」と心配しなくちゃいけないのに、それをしない人が多いわけです。

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