戦闘が一気に勃発「スーダン」なぜこうなったのか 交渉の一方で戦闘準備していた2人の将軍
国軍の指導者たちは2年以内にこの仕事を終わらせるよう迫ったが、ダガロ司令官は、10年はかかると反論した。
緊張が一気に高まった。ある時、欧米の高官によると、ダガロ司令官は大統領府で行われたブルハン将軍が主導する重要な会議から締め出された。ダガロ司令官は「外に立って、文字通りドアを叩いて」初めて入場できたという。
エジプトは軍隊の側に立って、この争いに参加した。批評家たちは、協議に欠陥がある、あるいは早すぎると懸念した。交渉担当者は、民主化への移行が待ち望まれているスーダンにとって、これが最良のチャンスであると語った。
「彼らは権力と銃を持っていた」と欧米高官は将軍らについてこう話す。「私たちは、彼らを解放するための政治的な道筋を作ろうとしたのだ」。
国連高官によれば、「我々はテーブルの上にある道具を使って仕事をした」という。
紛争が始まる予兆は直前までなかった
4月12日、エジプトが戦闘機を数機駐留させているハルツームの北200マイルにあるメロウェの軍事基地を即応支援部隊が包囲し、戦争が近づいていることを示唆されたことから、緊張が高まった。しかし、それでも外国政府関係者は、両将軍が仲直りして平和的に政権を明け渡すことを望んでいた。
両軍を統合するための交渉は、暫定期間中の軍の指揮系統という最後の大きなポイントに絞られていたと、交渉担当者は語る。
14日、国連スーダン特使のフォルカー・ペルテス氏は、軍の副リーダーであるシャムス・アルディーン・アルカバシ中将の自宅で、ラマダンの聖なる月の断食明けの食事であるイフタールを食べた。国連職員によると、紛争が始まるという予兆はなかったという。
その数時間後、夜明け前の暗がりの中、ハルツームで最初の銃声が響いた。
(執筆:Declan Walsh記者)
(C)2022 The New York Times
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