勝田線が「廃止すべきでなかった」と言われる由縁 鉄道とは関係なくベッドタウン化した沿線
廃止された際の旅客列車の運転本数は1日6往復。土休日のみ昼下がりに1往復増発されるだけであった。炭鉱が操業していた1958年の時刻表を見ると1日11往復(他に区間運転1往復)が走っていた。
だが閉山直後の1968年には6往復に減らされており、以後は大した改善も施されず、人口増加に応じた通勤通学路線への脱皮は、まったく試みられなかった。財政難という理由があったとは言え、国鉄の無策の象徴と見なされるゆえんである。
勝田線の起点であった吉塚は博多の隣りの駅。1.8kmしか離れていない。現在は高架化され、鹿児島本線と篠栗線(福北ゆたか線)の列車が頻繁に発着している。福岡県庁の最寄り駅で、九州大学病院なども近い。2020年度の一日平均の駅別乗車人員は1万2524人で、JR九州全体では第5位であった。
廃止前からバスが輸送の主軸
勝田線の代替と見なされている路線バスは、西鉄バスの34系統だ。大濠公園から繁華街である天神を経由し上宇美などに至る。吉塚は経由しないが、大濠公園または博多駅から同じく上宇美などに至る32系統もある。
そのほか、勝田線沿線からは少し離れる区間もあるが、福岡空港前経由で博多駅と上宇美などを結ぶ37系統も利用可能だ。志免町、宇美町内のバス路線はかなり充実している。
これらの路線バスは、勝田線の存廃とはまったく関係なく整備されてきた。国鉄とは違って西鉄はベッドタウン化に素早く応じ、福岡市中心部との間を結ぶ系統を整備。運転本数を増やしてきた。そして勝田線の廃止時には、改めて新しい運転系統を設定することもなく対応した。
一方の勝田線はほぼすべてが吉塚発着の列車ばかりで、利便性ではバスにかなわなかった。廃止時には、鉄道は完全に見放されていたと察せられる。
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