勝田線が「廃止すべきでなかった」と言われる由縁 鉄道とは関係なくベッドタウン化した沿線

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西鉄バス34系統
下志免付近を走る西鉄バス34系統。勝田線の代替と見なされている(筆者撮影)
ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。遠隔地との交流が途絶え、経済的なダメージを受けてしまうとの考えからだ。しかし現実には、鉄道の利用客が極端に減少してしまったから廃止論議が起こるわけであり、住民の日常生活、ビジネスの際の移動手段はすでに自動車がほぼすべて。鉄道を利用するのは高齢者と高校生だけとなっているのが実情と、各地のローカル鉄道へ実際に乗ってみると痛感させられる。廃止された鉄道の沿線は今、どうなっているのか。今回は福岡市近郊を走っていながら廃止された勝田線を訪れた。
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国鉄勝田線の前身は、1919年に吉塚―筑前勝田間13.8kmを全通させた筑前参宮鉄道にさかのぼる。太平洋戦争中の陸上交通事業調整法により1942年に九州電気軌道(現在の西日本鉄道)に合併されたのち、1944年に国有化され勝田線となった。

勝田線は1985年に廃止

元は、主に福岡県糟屋郡内に広がる糟屋炭田から産する石炭を輸送するための鉄道であった。この炭田は隣接する筑豊炭田とは異なり、当初は海軍専用の炭鉱が中心で、戦後は国鉄が産炭事業を引き継ぎ、蒸気機関車用の石炭を採掘していた。こうした事情によって勝田線と隣接する香椎線(旧博多湾鉄道)も国有化されたのだが、他の炭鉱と同じくエネルギー革命により、1964年を最後に沿線の炭鉱はすべて閉山。石炭輸送は途絶えた。

炭鉱がなくなり、勝田線沿線の志免町や宇美町では、いったん人口が減少したが、1970年代後半あたりから福岡市に隣接する好立地が注目され、ベッドタウンとしての開発、発展が始まった。2023年の推計人口は志免町が約4万6000人、宇美町が約3万7000人。特に志免町は町の面積が8.69平方キロメートルしかなく、鉄道が通ってない市町村の中では、全国でもトップクラスの人口密度を誇っている。

しかるに、炭鉱閉山後の国鉄勝田線の輸送量はまったく伸びず、1980年の国鉄再建法によって「鉄道の使命は終わった」と廃止の方針が打ち出され、翌年には第一次特定地方交通線に指定。さしたる反対もなく、1985年4月1日付けで全線廃止された。

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