廃線跡の旅人宿「天塩弥生駅」では何が起きる? 深名線の跡地に「駅」を建設、営業は週末のみ
楽しい放送が終わり、宿に帰ると、みんなで酒盛りが始まった。暖かいストーブを囲んでくつろぐひととき。上に乗せたやかんがシュンシュンと音をたてている。ベンチでは最近、家猫になった「モップ」が寝ている。まったりと流れる時間が心地よかった。
古く見える「天塩弥生駅」だが、実は2023年3月でまだ開業7周年。なぜ、この地に駅舎のような宿を建てたのか。富岡さんにお話を聞いてみた。
一念発起して開業
――この宿を始めようと思ったきっかけはなんでしょう?
「もともと自分は旅人で、あちこちを旅するうちに、逆に旅人を迎える側の仕事っていいなあ、と思うようになりました。そこで廃線跡で何かできないかと。名寄市は鉄道の要所で、かつて国鉄職員も1000人いた街。ここを拠点にすれば、そういう人たちが集まれる場所になるのではと思ったのです」
富岡さんは北海道生まれ。1987年に廃線となった、幌内線の幾春別の出だ。しかし父親の転勤で関東へ。国鉄に勤めた後、京王帝都電鉄に入る。そして1997年、33歳の時に北海道に戻り、林業の仕事に就いたという。
「鉄道15年、林業15年やったので、そろそろいいかと思い、一念発起しました。そして深名線の天塩弥生駅の跡地がそのままになっていることに気づき、入札で土地3700坪を手に入れた。翌年、2015年6月に工事を着工しました」
もともとの駅や線路は跡形も残っていない。家はすべてオーダーメイドで、見た目をエイジング加工(古く見せかける)にした。「知らない人はリフォームだと思うようですが、実は新築。外側もカンナをかけずに粗板のまま。塗料も神社仏閣を造るときに使われる、古色塗料を使い、その上から柿渋を塗っています。コンセプトが昭和30、40年代なので、当時に見えるような形で具材などを使い、こだわりました」
そしてある場所で「ハエたたき」(昔の電信柱)を10本見つける。富岡さんは、持ち主である雑品屋の社長に話をしにいった。
「最初は『マニアには売らないよ』とけんもほろろに断られました。『また雪解けの頃においで』と言われたので、本当にその頃再訪したら、驚かれた。何度も足繁く通ううちに、ようやく売ってくれることになりました」
1本1万5000円で10本で15万円。さらに運搬するために大型トラック2台と人手が必要なので運賃が15万円、合計30万円で手を売った。
「社長がトラック2台でやってきて、『ハエたたきを造るなら、碍子(がいし)もいるだろう』と肥料袋に4袋分くらいの、碍子も持ってきてくれました。さらに『こんなのもどうだ?』と、だるま(手動転轍機)もくれて。いざ精算、となった時に社長は『今日、うちらはドライブに来ただけだ。だから15万でいいわ』といきなり半額になりました」
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