家臣は絶望、狂気の運ゲーだった「桶狭間」の真実 セオリー無視、秘策もなしの自滅作戦で幸運

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翌19日、義元軍の攻撃があったと知らされた信長は、即座に出陣を決断します。通常、兵力的に不利な場合は城に籠もって持久戦をすることがセオリーなのですが、信長はそれをあえて無視した形です(実際、家臣からも籠城を勧められたという話もあります)。

出陣に際し、信長は「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり(人の世の50年など、天の世界ではたった1日の出来事に過ぎない)」というフレーズで有名な「敦盛」を舞ったと言われています。一方、義元軍は桶狭間の山に陣を敷いていました。「負ける要素など1つもない」という余裕な状況だったことでしょう。

そんな義元軍に対し、まず信長軍が仕掛けます。2名の家臣が300騎ほどで義元軍に突撃します。しかし当然これは、あえなく敗退となります。この動きは、信長の陽動作戦とも、単に功を焦った家臣の暴走とも言われていますが、信長はその裏で衝撃的な行動をとります。敵陣の真正面、低地にある中嶋砦に入ったのです。

何が衝撃かといえば、義元は山の上にいるわけですから、信長軍の動きは義元軍から丸見えになってしまいます。家臣たちは「これでは義元軍から丸見えです!ただでさえ人がいない(信長軍の兵は2000足らずだったとされる)ことがバレちゃいますよ!」と猛抗議。

が、信長は意に介さなかったと言います。奇行に次ぐ奇行。いよいよ、何を考えているのかわかりません。

もはや狂気の正面突破

なぜか低地の中嶋砦に陣を敷いた信長。彼の奇行はまだ続きます。中嶋砦から、何の工夫もなく正攻法の正面攻撃を仕掛けようとしたというのです。これも、セオリーとしては迂回攻撃をするほうが合理的。というより、正面突破はあまりにもムチャな選択です。

当然、家臣たちは中嶋砦に進んだとき以上の猛抗議。信長を羽交い締めにしてでも進軍を止めさせようとします。が、信長は「相手は疲れきっているが、こちらは元気だ。大軍を恐れちゃいけない。運は人間の力ではどうにもならないという言葉もある。もしこの戦いに勝てば、お前たちの名は末代まで語り継がれるぞ!」と家臣を鼓舞します。

これで納得したのか、はたまたあきらめたのか……信長軍は結局そのまま出撃することになります。こうなっては、もはや家臣たちにできることは「死ぬ気で戦う」以外にありません。戦場の兵士たちは誰もが死を覚悟したでしょう。信長に隠された秘策はあるのでしょうか。……あるはずです。

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