寿司テロなどの迷惑行為めぐる騒動に欠けた視点 加害者への怒りと原因の推察ばかりでは非生産的
「スシロー」での迷惑行為を撮影した動画が拡散され、ネット上で猛批判を浴びてから約3週間が経過しました。「くら寿司」「はま寿司」における迷惑行為の動画が拡散されたこともあって一連の騒動は「寿司テロ」と呼ばれ、さらにその行為から「寿司ペロ」などともじられながら批判の声が過熱。本人の名前や高校名などが特定され、中傷の電話がかけられるほか、メディアやYouTuberが地元を直撃するなどの事態に陥っています。
騒動は回転寿司チェーンだけにとどまらず、うどん店、牛丼店、カレー店、しゃぶしゃぶ店などでの迷惑動画も広がり、「飲食店の安全が脅かされている」というムードが生まれてしまいました。しかし、迷惑行為は収まるどころか、飲食店以外にも拡大。カラオケ店でマイクの除菌スプレーにライターで引火する。電車の線路を歩いて撮影。工事現場などで使用するポールをやり投げのように線路へ投げ込む。産婦人科の検診台で性的な悪ふざけをする。警察署に花火を打ち込む。銭湯で毛染めしてタイルを汚す。
加害者自らアップしたもの、被害者側が訴えたもの、報道によって広がったものと、批判を集めるまでの過程はさまざまですが、迷惑行為の連鎖が止まらない様子がわかるのではないでしょうか。
ただ、迷惑行為の内容と同等レベルで気になるのは、これらを報じるメディアも、SNSに書き込む人々のコメントも、スポットを当てているのが、加害者への怒りと原因の推察ばかりであること。「重要なある視点に欠けているのではないか」と思わされるのです。
迷惑行為に至る不可解な感覚のズレ
今回に限らず迷惑行為をする人の多くは、のちに「『ウケるかな』と思ってやっただけだった」「当時は『何でこれくらいのことで叩かれるのか』がわからなかった」などと後悔の言葉を発します。
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