テレビのイノベーションは大阪から始まる! 立ち上がれ!カウンターカルチャー
社会現象となった「仮面ライダー」が大阪の毎日放送の番組だったのを知ったのはつい最近だ。石ノ森章太郎のマンガが原作だが、その誕生には毎日放送の人びとの意志が少なからず反映されていると聞く。ウルトラマンが巨大だったのに対し、ライダーが等身大であることは、何か象徴的な意味がある気がする。
80年代になり、大学に入って東京に出てきたころは音楽にのめり込んでいた。ある夜、たまたま足を踏み入れた下北沢の飲み屋はブルースマンのたまり場で、以来通いつめた。関西出身の伝説のバンド、ウエストロードブルースバンドの元メンバーたちがたむろしていた。関西はなぜかブルースバンドが多く、ソーバッドレビューや憂歌団も生み出している。ニューミュージック全盛の80年代に、ブルースの気取らない雰囲気や泥臭さが、関西弁とマッチして心に響いた。
“大阪”は何度もそうやって筆者の前に登場し、どこかカウンターカルチャーのにおいをさせていた。東京とは別のもうひとつの中心地として、東京に唯一対抗できる地方として、存在感を強く発揮していた。
「もうひとつの中心」から後退していた一時期
だが80年代から90年代にかけての大阪は、東京に実権を明け渡したかのようだ。「中心を大阪から東京に移す」動きがあちこちで起こり、大企業が宣伝部など重要な機能を東京に移したりした。テレビ放送もその流れに乗っていった。これはそもそも、70年代にテレビ放送が「東京中心のネットワーク」として再整備され、いわゆる「腸捻転」が解消されてからの流れだと言える。70年代からの20年間で、テレビ放送とは「東京から番組を全国に送り届け、それとともに東京の企業のCMを津々浦々に配信する」システムだということになった。
90年代に“平成新局”が続々生まれることでついにそれは完成された。だがそれは、大阪という“もうひとつの中心”の存在意義をあやふやにした。大阪キー局も“東京制作”のセクションをつくり、その傾向に対応していった。とくにゴールデン、プライムのバラエティやドラマは、大阪局制作のクレジットだが東京で制作しているものがほとんどになっている。タレントの移動の便を考えると、そのほうが都合いいのだろう。
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