離婚後は実家に戻り42歳で看護学校に入学
今回はこの連載で初めて、女性でアラフォー離婚をした田口萌美さん(50歳・仮名)に取材をした。田口さんは現在、北日本で看護師として働いており、中学生と高校生の子どもが3人いる。リモートで話した田口さんは常に明るくシャキシャキとした印象を受けた。離婚したのは40歳直前で、まだ子どもたちは6歳以下だった。
「元夫の借金癖に耐えられなくなって離婚したのですが、離婚後に元夫が行方不明になり、公正証書で取り決めた養育費は1円も払ってもらえませんでした。当時は関西に住んでいて私は専業主婦。資格も持っていなかったので働き口もなく、まずは子どもたちを連れて実家に戻ることにしました。実家なら家賃もかかりませんし」
地方の実家に戻り、最初の1年は臨時職員として学校の給食センターで調理員として働いた。しかし、給与が月10万円ほどで安いうえ、夏休みや冬休みなどの長期休暇に入ると仕事が休みになり、収入も減ってしまう。なんとかして経済的困難から抜け出そうといろいろと調べていたとき、田口さんはとある制度を知る。
「『ひとり親家庭高等職業訓練促進給付金』という制度があり、これは月に1度10万円の給付金をもらいながら、看護師や保育士、介護士、介護福祉士、作業療法士と理学療法士などの資格の取れる学校に通えるんです。この給付金は給食センターの仕事とほぼ同じ額です。保育士や介護士は給与が安いので、生活のためには看護師しかないと思い、給食センターの仕事を辞めて42歳で看護学校に入りました」
看護師と言えば堅実な仕事だが、夜勤もありハードで人によっては向き・不向きがあるイメージであるが、仕事のためと割り切ったという。看護学校では他にもこの制度を利用して経済的な事情のため看護師を目指しているシングルマザーの仲間がいて、一人ではないのだと安心したそうだ。
田口さんは必死で勉強をして現役で国家試験に合格。はれて看護師としての職を得た。地方なので常に人手不足で夜勤が多く、働き始めて3年ほどで手取りが30万円を超えるようになり、貧困を脱することができた。
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