純文学の登竜門「芥川賞」意外に知らない創設背景 日本一有名な文学賞、第168回は1月19日に発表
菊池寛と芥川龍之介は正反対のタイプ
新聞の連載小説『真珠夫人』で一躍、人気作家となった菊池寛。自身が貧乏に苦しんだことから、作家の仲間たちに小説を書く場を与えようと、1923(大正12)年に『文藝春秋』を創刊した。創刊号の巻頭第1ページを書いたのは、芥川龍之介である。
菊池と芥川は、第一高等学校で出会ったが、初めから仲がよかったわけではない。芥川は色白でいかにも都会育ちといった風貌の持ち主だ。新入生の頃から、海外小説の原書を小脇に抱える天才青年として知られていた。
一方の菊池はと言うと、入学早々野球チームに入り、グローブも使わず袴でボールをキャッチしながら一塁手として活躍。奔放で豪快な菊池と芥川はまるで正反対のタイプだった。
だからこそ、自分にはないものを持つ相手のことを理解し始めれば、距離は一気に縮まっていく。2人が親しくなったのは、菊池が時事新報社の記者になってからのことだ。のちに菊池は芥川の紹介で、大阪毎日新聞社の客員社員となる。
長崎へともに旅行するなど、いつしか2人は親友となり、かつ、作家としては、よきライバルとなった。そんななか、創刊されたのが『文藝春秋』だった。
読者や編集者に気兼ねなく、自分たちが書きたいものを書く。菊池がそんな方針を掲げて誕生した『文藝春秋』は、創刊号が瞬く間に完売。3年分の購読料を一度に振り込む読者が現れるなど、大評判を呼ぶことになる。
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