ヤングケアラーと名乗らない20代息子の複雑心中 母親が病に倒れたとき中1だった息子の現在

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この引用には3回「どうしよう」が登場する。「どうしよう」が過去の発症に関わることではなく、「なんかあったらどうしよう」と未来を心配する不安でもあることが分かる。もっと正確に言うと、けいたさんは「なんかあったらどうしよう」と「つねに頭で考え」ている。つまり「どうしよう」という(いつ起きるかわからない)最悪の状態を基準点にして考え、現在にいたるまで行動を組み立てているだけでなく、未来を先取りもする。

「つねに考えてる状態」であり、いつ起こるのか分からない発症の瞬間を基準点として、事前に予期する不安と、事後に後悔する罪悪感が全体を枠づけている。1年前の4月23日の発症の瞬間が、けいたさんの時間のすべてを決めるのだ。

けいたさんの場合、ケアだけでなくバイトも日常生活もすべて、母親が倒れたら「どうしよう」という不安を基礎として組み立てられている。ヤングケアラーであることは、けいたさんにとってはまずはこの「どうしよう」の表現形なのだ。

「ヤングケアラー」と名乗ることへの違和感

けいたさんは母親だけでなく、近所に住む認知症の祖母のサポートもする。祖母に対しては母親の病に対する不安とは異なる文脈でケアが位置づけられる。

けいたさん:やっぱりお金の管理ができないんで、1週間に1回に「何ぼのお金を持っていくよ」とか、例えば、どっか昼ご飯食べに行くとか、外、出てないんやったら、「どっか食べに行こうか」とか。あとは保険証とかなくしたら区役所に一緒に取りに行かないと駄目ですし、やっぱりそういうところが大変、じゃないですけど、そこは『家族がするところや』と僕は思ってるんで、ケアしてるっていうつもりじゃなくて、『やって当たり前』と僕は思って育ってきてたんで。

けいたさんは「ケアしてるっていうつもりじゃなくて、『やって当たり前』」と、ヤングケアラーとしての役割を否認する。「大変、じゃない」けれど「やって当たり前」というように、「大変」であることが浮上しつつ否認され、すぐさま「やって当たり前」に変換されるのだ。

この「当たり前」が、母親に対する不安とは無関係な場所で登場していることにも注目できる。つまり母親へのサポートを強く動機づけている「どうしよう」という不安とは別に、けいたさんのなかにケアへの志向も確かに存在する。それは〈家族〉という単位を意識していることに由来するのだ。家族介護を前提としている日本の介護保険制度は、これを「当たり前」の規範として内在化しているけいたさんのようなケアラーに国の制度が依存する形になっている(※注3)。

母親が倒れたときの「どうしよう」という無力感と、ケアを「やって当たり前」が並列することは、家族の安定を維持する行為がけいたさんの自己効力感、自己肯定感とつながっていることを暗示している。つまり社会的に見ると、福祉が不足しているがゆえに自助を強いられているとしても、本人の受け止め方は異なる場合がある。

大阪大学教授の村上靖彦さん(写真:本人提供)

けいたさんの場合は、「何もすることができない」という無力を反転する行為、自分が持つ積極的な力の発見として、ケアラーの役割を担っている。現在も続く介護が必要とされる状況のなかで、彼自身熱心に介護に携わってきた。こうした状況に置かれた子どもに対して、学習権などの子どもの権利をどのように保障するのか。ヤングケアラーの現状は難しい問題をつきつける。

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