2、3日で分かりやすく変化が起きた。頭の中が静かになるのだ。いかに日々、食べた言葉を消化することに頭を使っていたかを実感した。食べる言葉の量を減らすと、自然と頭の中を流れる言葉の量も減る。思考と呼ばれるものの大半は、じつは食べたものの消化で、食べる言葉の量を減らすと思考の量も減るらしい。
断食中に外を歩くと、街にあふれる大量の文字にも敏感になる。看板、広告、表札、それに電柱にも文字があり、地面にまで《とまれ》と書かれている。どこに視線を向けても文字がある。スーパーに入ると大変で、商品のパッケージをはじめとして、無数の文字に囲まれることとなり、10分程度の買い物でも、大量の文字が身体に入ってくる。こんな環境で暮らしていたのか。1軒のスーパーの中にある文字の総数は、源氏物語の全文をゆうに超えているのではないか。
言葉の断食後に聞こえた思考の咀嚼音
10日ほど文字の断食を続けた後、本屋で雑誌を立ち読みした。久しぶりのまともな食事というわけだが、言葉がどんどん体内に侵入してくる感覚があって面白かった。久しぶりに物を食べたときの食道がグッと押し広げられる感じと言えばいいだろうか。
本屋を出た後は、読んだ文章が頭の中で消化されていた。思考の咀嚼音が聞こえた。人はたいてい、読んだそばから文章の大半を忘れていて、面白かったところや疑問に思ったところ、腹が立ったところなど、印象に残った部分だけをくちゃくちゃと頭の中で嚙みしめているものだが、そのプロセスを体感した。食べた言葉が思考を作る。
普通、このプロセスは無自覚で、人は気づかないうちに、どこかで耳にした言葉や、どこかで読んだ言葉を喋っているのだろう。受け売りや、うすっぺらい言葉というのは、食べたものがそのまま出ていて咀嚼と消化がないということか。
実験中、同居人に手まねきされて、パソコンの画面を見せられた。面白いネコの記事を見つけたという。しかし、私は言葉の断食中だ。ダイエット中に唐揚げのにおいを嗅がされたような気分になった。この刺激が呼び水になってしまったらどうするのか。今の俺は言葉の断食中なのだ。不用意にネットの記事を見せないでくれ、と伝えた。
「知らないよ、そんなの」と同居人は言った。
「いよいよ暇人が極まってきたね。あたしは明日も会社だよ! 」
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