いつでもつながれる「常時接続」がもたらした弊害 つながっていても「寂しい」のはいったいなぜ?

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そうした流れを、携帯電話やスマホは加速させました。昔なら一拍置いて受け止められた出来事も、翌日に返事をすれば済んだメッセージも、今はそうはいかない。すぐに対応しなければと追い立てられる。

ラグのない状態に慣れた私たちは、社会的にも、仕事面でも、プライベートでも、スピードばかり期待して、「待つ」「受け止める」ことができなくなっているところがあります。

携帯電話やスマホの登場は、単に世界のどんなところでもインターネットにつながれる「ユビキタス・コンピューティング」の時代を超え、1人が複数のデバイスを並行して使う時代の到来を意味するものでした。

そのデバイスは小型なので持ち歩け、そのインターフェイス上でマルチタスクができるだけでなく、所有するデバイス同士が相互につながっている(モノのインターネット:IoT)。

現代は、文字どおりの「ユビキタス(遍在、あまねく存在する)」な接続が可能になった時代であるだけでなく、膨大な刺激やコミュニケーションを並行処理しており、そのマルチタスキングぶりを自分でも気にしなくなる時代だと言えるかもしれません。

IT大手のシスコ社が2020年2月に出したレポート(Cisco Annual Internet Report2018-2023)では、2023年までに世界のデバイス数は293億台(1人当たり約3.6台)になる見込みで、デバイス同士の接続がなされているものの数は、全デバイスのうち147億台になると推定されています。

ラグのないコミュニケーションへの期待が高まること自体は以前からあることではあるものの、膨大なデバイスに囲まれ、対面的な相互作用とは別に、それぞれのデバイスで複数のコミュニケーションや作業を並列処理している時代が、それ以前とまったく同じかというと、そうではありません。

では、結局のところ、このメディア環境の変化は何をもたらしているのでしょうか。

「常時接続の世界」で忘れられた感覚

そもそも、スマホ時代の哲学といっても、そんなもの急に始められるのかと思う人もいるでしょうが、広義の携帯電話についてはいろいろな研究があります。私がとても好きな研究者に、シェリー・タークルというMIT(マサチューセッツ工科大学)の心理学者がいるのですが、彼女は2011年に出された本で興味深いエピソードを紹介しています。

それほど前の話ではないが、私が教えている大学院生の1人が、ある体験を話してくれた。彼が友人とMITのキャンパスを歩いていたとき、その友人が携帯にかかってきた電話に出たというのだ。彼はそれが信じられなかったと言う。怒りをにじませた口調で、「彼は僕の話を保留にしたんですよ。どこまで話したか僕が覚えていて、彼の電話が終わったら、そこから始めろということですか?」と言った。当時は、彼の友人の行動は無礼で周囲を戸惑わせるものだった。だが、それからほんの2、3年で、それは当たり前の行動になった。
次ページ対面の活動も「マルチタスキング」の1つとする行動様式
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