魚が獲れない時代に「鹿児島・垂水」から学べる事 日本一のカンパチは漁業者たちの姿勢が作った
日本の養殖カンパチ生産量の約2割が垂水市漁協で作られており、生産量は年間4,500トン、生産額は約50億円にも上る。
桜島を望む錦江湾(鹿児島湾)に漁場が広がっており、この雄大な景色は多くの人の心を惹きつけてやまない。すぐそばに漁協直営のレストラン「味処 海の桜勘」があるため、産地に行って、食べて楽しめる場所もある。朝に水揚げされた新鮮なカンパチを使ったさまざまな料理が提供されており、秘伝のレシピで作られたあら煮は骨まで食べられる柔らかさだ。
しかし、垂水市漁協がカンパチの日本一の生産地になるまでは紆余曲折があった。
垂水市漁協がカンパチ日本一になるまでの道のりと、その後のさらなる試行錯誤を取材した。
台風襲来での壊滅的な被害
「とる漁業から育てる漁業への転換」が盛んに叫ばれるようになった1960年代、垂水市漁協ではいち早くブリ養殖に着手していた。最盛期の1988年にはブリの生産量は5426トンを記録している。
そこからカンパチ養殖へと転換する大きなきっかけとなったのは、1989年に襲来した台風11号だった。数百台の生簀がすべて海底に沈んでしまうほどの壊滅的な被害を受ける。被災する少し前から、ブリ養殖への参入が増えて価格低迷にも悩まされていた中での大打撃だった。
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