日本経済支えた北海道のニシン漁と「国鉄岩内線」 鉄道は廃止されたが伝統の食文化は根付いた

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蒸気機関車時代の国鉄岩内駅の様子。木箱に詰められた水産物が駅に運ばれ鉄道貨物で各地に出荷された(写真:岩内町郷土館)

北海道岩内町は、小樽市から北海道中央バスの高速いわない号で1時間半、北海道新幹線の新駅の建設が進む倶知安町からはニセコバスで45分ほどの場所に位置する日本海沿岸の港町で、1985年までは函館本線小沢駅より分岐する国鉄岩内線の終着駅があった。

岩内町の歴史は古く、すでに室町時代から和人の村があったと伝えられているほか、江戸時代後期に群来したニシンによってニシン漁の街として大きく栄えた。筆者の母方の祖先も、江戸時代後期から蝦夷地と呼ばれていた北海道のニシン漁に携わり、青森県となった津軽藩の鰺ヶ沢から岩内へと移住したニシン漁師の1人で、その後、鮮魚卸商に転身した尾崎和次郎という。

現在でも岩内町内には和次郎の長男が漁師だった父を偲び、海の安全を願って大正時代に建立した地蔵が現存している。

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江戸時代からニシン漁で栄えた北海道岩内町

岩内町が大きく発展を始めたのは江戸時代後期にあたる1700年代後半、町が接する日本海にニシンが群来し漁獲量が急増したことによる。ニシンはそれまでの食用に加えて、魚油なども生産されるようになり、油をしぼった後に残るニシン粕が肥料として有用であることがわかると、瀬戸内地方の綿花栽培の肥料として飛ぶように売れた。ニシン粕は、さらにミカンや藍などの肥料としても使用され日本の農業生産力の向上に貢献した。

江戸時代には、すでに樺太・北海道と大阪との間を日本海と瀬戸内海経由で結ぶ北前船による交易ルートが整備されており、北前船の寄港地の1つであった岩内のニシンは日本各地へと出荷されていった。

食品としてのニシンは、日数のかかる船舶輸送でも保存が利くように干物に加工された干し数の子や身欠きニシンとして北前船の各寄港地に出荷され、京都では身欠きニシンを活用したニシンそばの文化をはぐくんだ。さらに、糠ニシンは食欲を掻き立てるスタミナ源として郷土の味となり漁師や鮮魚店の家庭ではお茶漬けとしても親しまれた。

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