しかし、そこで行われている買い取りシステムは、結果として多種多様な本(そして、本のみならずさまざまなジャンルの商品までも)の存在を許しているし、古い本を廃棄したのと同じくらい、他の古本屋では見ることのできない商品が雑多に並べられていることも確かなのだ。
そうした商品に目を付けて活動をするのがこの連載でもインタビューしたクリエイターたちである。そのような、「結果として生み出された公共性」のようなものが、ブックオフにはあるのではないか。
ブックオフ的公共性に向かって
ここで参考にしたいのは、思想家の東浩紀が提唱している「新しい公共性」に関する議論である。東は、ショッピングモールなどを参考にして、人々の個人的な欲望を満足させるための空間が、逆に多くの人にとって開かれた、公共的な空間になりうることを指摘している。
ショッピングモールでは個々人が買い物をしやすくするために、その動線が設計されたり、モール内の温度が一定になったりしている。そのことによって、結果的にベビーカーを連れた家族連れでも入りやすい空間がそこに生まれていると東は指摘する。そのような「結果として生まれる」公共性は、資本主義が浸透し、人々が自分の価値観で行動するようになった時代特有の新しい公共性であるというのだ。
こうした具体例がブックオフについての議論にふさわしいかどうかは難しいところであるが、ブックオフも、個人からの買い取りという行動が、結果として多種多様な商品の陳列を生み出しているという点においてはこのような東が語る公共性と似ているだろう。
ここに公共図書館とブックオフの大きな違いが現れる。ブックオフは、図書館とはまた異なる「公共性」を持っているのではないか。
そして、東がいうところの、現代に現れた新しい公共性ともいえるものであり、その点においてブックオフを考えることは、実は現代の大きな問題にもつながるのである。
ここまでの連載でブックオフに影響を受けたさまざまな人が新しい文化を作ってきたことを述べた。それは、ブックオフという場所がある種の「公共性」ーーそれはさまざまな本がただ並んでいるという意味での公共性だーーを帯びているからこそ可能なのではないか。ブックオフと図書館を比較してみると、そこにこれからの「公共性」のありかが眠っているのである。
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