名古屋の要衝金山駅、なぜ「総合駅」と呼ばれるか? JR、名鉄、地下鉄が乗り入れる市内の一大拠点

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戦後、荒廃した東京の街に新たに誕生した丸ノ内線は、1954年にまず池袋―御茶ノ水間が開業し、銀座に進出したのは1957年12月15日のことであった。

丸ノ内線の駅名は「西銀座駅」を名乗り、その理由は銀座線の駅が中央通りの真下に建設されて、丸ノ内線の駅は少し離れた外堀通りの下に建設された関係上、別々の駅として開業したからだ。この2つの銀座駅が集約されたのは、1964年8月29日、日比谷線銀座駅(東銀座―霞ケ関間延伸)開業からだ。

日比谷線の銀座駅は、ちょうど銀座線・丸ノ内線を前後で下から支持する形で、晴海通りの下に建設された。このことから、銀座線と丸ノ内線が日比谷線の開業をもって1つの駅、現在の「銀座駅」となった。

歌い継がれる「西銀座駅」

銀座駅という名称は、統合直後は「銀座総合駅」と呼ばれることもあった。東京メトロの公式資料などを確認してみると、その名称が書かれていることがある。

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ちなみに、「西銀座駅」という名称も消滅したわけではなく、歌手のフランク永井が歌う「西銀座駅前」「〜いかすじゃないか、西銀座駅前」という歌詞が残っている。プロモーション映像を見ると当時の銀座の周辺の様子や、丸ノ内線西銀座駅に入線する赤い電車が映り込んでいる。

駅名には、様々な思惑や歴史がつまっており、その経緯をたどりながら巡ってみるのも、面白いのではないだろうか。

渡部 史絵 鉄道ジャーナリスト

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わたなべ・しえ / Shie Watanabe

2006年から活動。月刊誌「鉄道ファン」や「東洋経済オンライン」の連載をはじめ、書籍や新聞・テレビやラジオ等で鉄道の有用性や魅力を発信中。著書は多数あり『鉄道写真 ここで撮ってもいいですか』(オーム社)『鉄道なんでも日本初!』(天夢人)『超! 探求読本 誰も書かなかった東武鉄道』(河出書房新社)『地下鉄の駅はものすごい』(平凡社)『電車の進歩細見』(交通新聞社)『譲渡された鉄道車両』(東京堂出版)ほか。国土交通省・行政や大学、鉄道事業者にて講演活動等も多く行う。

 

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