こうした経緯により、隣の巣鴨駅までは0.7kmと、加減速性能にすぐれた電車でなければ対応が難しい距離しか離れていない。貨物営業が行われた例もなく、今日に至るまで旅客専用駅として推移している。
駒込の地名自体は、現在もかなり広い範囲で使われている。中央を貫いている本郷通り(都道455号)は元の日光御成道で、徳川将軍の日光参拝の際に使われた道だ。江戸開府前は純農村であった一帯にも、寺院や武家屋敷が次第に集まってきて町場となった。
都立庭園の「六義園」は駒込駅のすぐ近くにあるが、ここは徳川綱吉の側用人として知られる柳沢吉保の屋敷跡で、庭園が今に伝えられているところである。
豊島区と文京区の区境
六義園の北側、駒込駅北・南口から巣鴨駅にかけて山手線の線路を挟んで、比較的、町の区画が大きく、マンションや文教施設が多いエリアがあるが、このあたりが加賀藩前田家、津藩藤堂家などの屋敷が並んでいた一帯である。歴史的な経緯を知れば、戸建て住宅中心で下町の香りがする東口、谷田川通り沿いとの対比が面白い。
駒込駅のすぐ南側には豊島区と文京区の区境があり、現在の町名では豊島区側が駒込。文京区側が本駒込などとなっている。これは決して、本駒込側が本村であったわけではなく、元は豊島区側が上駒込村、文京区側が下駒込村で、先に下駒込村が東京市本郷区に編入されたときに、「本郷区の駒込」との意味から「本駒込」と称し、文京区に合併されてもそのまま現在に至っているのだ。東京メトロ南北線にも本駒込駅があるが、そちらが駒込の中心地との意味ではない。
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