地形が複雑、山手線駒込駅の周辺には何がある? 駅メロは「さくらさくら」、“唯一の踏切"も

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駅北口から北西へ、染井通りを10分ほど歩いたところに染井霊園があるが、この付近が江戸時代の染井村。大名屋敷に出入りする造園師や植木職人が多く集まって住んでいたところで、古来、サクラの名所として知られていた。

ここで江戸時代後期、エドヒガンとオオシマザクラの交配により生み出されたサクラの品種が現在、もっともポピュラーになったソメイヨシノだ。当初は奈良県のサクラの名所にちなんで「吉野桜」と称して苗木が販売されていたが、本来の吉野の桜(ヤマザクラ)と混同されないよう、染井を冠したソメイヨシノの名が定着した。

染井吉野発祥の記念碑
染井吉野発祥の里記念碑。駒込駅北側の公園にある(筆者撮影)

駒込駅の北側にある公園は染井吉野桜記念公園と名付けられ、園内には「染井吉野櫻發祥之里駒込」の石碑が立てられており、エドヒガンとオオシマザクラも植えられている。この公園と東側に隣接する都営住宅は、かつての東京都電駒込車庫の跡を再開発したところだ。

連絡線が山手線のルーツ

現在の東北本線などを建設した私鉄の日本鉄道が、官設鉄道との接続のために建設した連絡線が山手線のルーツだ。東海道本線の全通以前、1885(明治18)年に品川―赤羽間が開業し、最初は品川線と呼称されている。

さらに1896年に現在の常磐線の一部に当たる田端―土浦間が開業すると、この鉄道との直通のため、豊島線の名で池袋―田端間の建設が始まり、1901年には品川線と合わせて山手線と改称。1903年に完成、開業した。

この時点ではまだ駒込駅はなく、日本鉄道の国有化後、1909年に上野―池袋―新宿―品川―烏森(現在の新橋)間と赤羽―池袋間の電化が完成。電車運転が始まって利用客が増え、1910(明治43)年11月15日に高田馬場、五反田、鶯谷などと前後して、増設の形で開業している。

駒込駅東口側から見た谷田川の谷
駒込駅東口側から谷田川の谷を見る(筆者撮影)
山手線と湘南新宿ライン
駒込駅の西側。堀割の中を走る山手線と湘南新宿ラインの電車(筆者撮影)
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