泉・明石市長の「暴言」は一体何がマズかったのか 同じく職員とやりあった橋下徹・元大阪市長との違い
橋下氏が市長に就任後も、大阪市役所内のあらゆる部署で職員やメディアと激しくやり合っていたのは、メディアを通じて世間の皆さんも承知している通り。職員だけでなく、橋下氏の生い立ちなどで差別的な記事を載せた『週刊朝日』と同グループの会社だからと、大阪市政記者クラブで朝日新聞の記者に対しても退場を促す厳しい言葉を投げていた。時には公務員が政治活動に関わっていたという理由で、組合の委員長に抗議するなど、今なら明らかにパワハラで訴えられそうな、そんなシーンを私は何度も目の前で見てきた。
ところが、橋下氏のそのような職員に対する怒りや暴言に関して責められたことはない。強引な政策の進め方や財政難を改善するための急速な改革やリストラで年中議会や市民からの抗議に怒りを露わにして暴言も発していたが、今回のような騒動にはならなかった。泉明石市長と橋下氏、一見似ているようだが何が違うのだろうか。
手順とコミュニケーションは十分だったか
当時、橋下氏を身近に見ていた私の私見ではあるが、橋下氏は、政策を進めるにあたって、スピード感や職員に求める要求はかなり厳しかったが、進める時のルールや手順は守っていた。議会や市民にきちんと説明すること、説明できることを第一としていたので、反対される議案だとしても勝手に進めたり、独断で決めたりはしなかった。
リストラ案が多く反対されるばかりの事案でも、手順を踏み、公の採択に委ねた。当時の議会は橋下氏が代表の大阪維新の会が第一党で勢いもあったが、だからと言って説明なしで、勝手に進めることはなかった。
【2022年10月15日14時10分追記】初出時、当時の議会における大阪維新の会の位置づけに一部誤りがあり、表記のように修正しました。
また、ウダウダと文句を言ってやらない公務員独特の働き方には厳しかったが、頑張っている職員への慰労は欠かさなかった。恨む職員もいたが、ついていく職員もいた。副市長や外部顧問との関係も順調だったと思う。最後は大阪都構想の是非を問う住民投票で、市民からの回答が「NO」という結果となったことで、市民の意見との相違を理由に政治家からの引退を決意している。
一方の泉明石市長が議員や職員にこれだけ嫌われるのは、この役所の手順を守らず、勝手に推し進めたり、市長の専決を利用したりと強引さがあるからではないか。また彼の怒りや暴言で萎縮してしまう職員たちとのコミュニケーション不足からきていることもあるのではないかと思う。
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