「鉄道後進国」日本で新幹線が誕生した3つの背景 歴史や世界の状況を知れば日本の状況が見える
(1)の「高速走行の実績が海外にあった」は、試験列車が時速200kmを超える速度で走った実績がフランスやドイツにあったことを意味する。試験走行において世界で最初に時速200kmを突破したのはドイツで、時速300kmを突破したのはフランスだった。とくにフランスは鉄道のスピードアップに熱心に取り組み、1955年には電気機関車が牽引する客車列車が時速330.9kmで走行し、当時の世界鉄道最速記録を樹立した。
つまり、列車を時速200km以上で走らせるための技術は、新幹線が誕生する前からフランスやドイツにあり、日本はそれを学ぶことで、新幹線を生み出すことが可能だったのだ。
ところがフランスやドイツは、日本よりも先に高速鉄道を実現することができなかった。両国の政府が鉄道の高速化のために投資することを渋ったからだ。
この背景には、第二次世界大戦後における鉄道の斜陽化が関係している。先ほど紹介した4カ国では、自動車や航空機が目覚ましい勢いで発展を遂げ、鉄道が衰退したため、「鉄道は時代遅れの輸送機関」「鉄道は消えゆくもの」といった「鉄道悲観論」を識者が唱えた。となれば、フランスやドイツの政府が、将来性がなさそうな鉄道への投資を渋るのも無理はない。
自動車や航空機の発達が遅れた
いっぽう当時の日本は、4カ国と比べて自動車や航空機の発達が遅れた。1950年代までは鉄道整備を優先するあまり、道路整備がないがしろにされたうえに日本人の平均所得が低く、マイカーの普及が遅れたため、自動車は鉄道の競争相手にはなり得なかった。また、4カ国ではジェット旅客機の導入によって航空機の大型化と高速化が実現していたものの、日本では長らく航空運賃が高く、空の旅は庶民にとって高嶺の花だった。
そのため、戦後復興によって鉄道の輸送需要が増え続け、輸送力を増強する必要に迫られていた。それゆえ、政府が多額の投資をして、世界初の高速鉄道である新幹線を造り、鉄道全体の輸送力を高める意味があったのだ。
なお、新幹線はハイテクではなく、ローテクの塊だった。つまり、主に4カ国で開発され、導入実績があった鉄道技術を寄せ集めることで完成度を高めた高速輸送システムだったのだ。もちろん、フランスやドイツで構築された鉄道高速化を実現するための技術も、新幹線に生かされた。
新幹線の誕生は、日本の高度経済成長を推進する一因になり、高速鉄道の有用性を国内外に示した。そのことは「鉄道悲観論」を吹き飛ばすインパクトがあり、フランスのTGVや、ドイツのICEなどの高速列車が誕生するきっかけとなった。
(2)の「既存の鉄道の輸送力が逼迫していた」は、在来線とは別に高速列車のみが走る鉄道(高速新線)を建設する大きな要因になった。
先ほども触れたように、日本は4カ国よりも自動車や航空機の発達が大幅に遅れた。それゆえ日本では、1970年代まで国内輸送の大部分を鉄道に頼らざるを得ない状況が続いた。つまり、「鉄道悲観論」を唱える状況になく、むしろ鉄道の輸送力増強が必要な時期があったのだ。
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