京都の台湾まぜそば店「コロナ禍2年半」を経た今 夜の客足が戻らない中で新業態による底上げ模索

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狭間氏は現在56歳。波乱万丈な人生を送ってきたと語る。もともとは京都に代々伝わる湯葉の製造工場の長男で跡取り息子だった。高校を卒業してから実家の会社で働き始めたが、合わずに辞めてしまい、上京。新宿で部屋を借りたが家賃を払えなくなってしまい、歌舞伎町をさまよって10日ほどホームレス生活をしていたという。

そして所持金が20円になってしまったところでボロボロの格好のまま歌舞伎町の居酒屋に頼み込んで働き始めた。何日も飲まず食わずだったので、その日の居酒屋の賄いが体中に染み渡った。しばらくその居酒屋で働くが、人間関係がうまくいかずに退職。その後転々と飲食店でバイトをして3年ほど東京で過ごした後、今度は博多へ行って、ここでも職を転々とした。

その職の中には探偵事務所で浮気調査などを行った経験もある。そうしてある日、京都へ戻り、湯葉の製造工場の跡取りは弟に託して、京都で飲食店を開業するが、なかなか軌道に乗らずにつぶしてしまった。その後、ラーメンの作り方を教えてくれる人に出会い、ラーメン店を開いたのが2009年。それから現在までラーメン店を経営している。

夜の客足を戻すため立ち呑み屋スタイルを考案中

そして、今後の目標は地中海に浮かぶ南欧のマルタ共和国にラーメン店を出店することだという。というのも、日本のラーメンは世界的に人気だが、マルタ共和国にはまだ1店舗もラーメン店が存在していない。そしてある日、マルタ人が狭間氏の店にラーメンを食べに来てその味に感動してくれたのがきっかけだという。

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ただし、足元の状況は楽ではない。今、「鷹くら」の夜の時間帯の来店客が少ないことから脱しようと、昼はラーメン屋、夜は立ち呑み居酒屋にシフトチェンジしようと構想中だ。ちょこっと飲んでいけるような立ち飲み屋が「鷹くら」の近くにはないからだという。具体的にどのようなスタイルの居酒屋にするのか尋ねたところ、それはまだ明確に考えてはいないそうだ。

コロナ第7波が少しずつ落ち着いてきて、街にも人が戻りつつある。ただし、やはりまだまだ多くの飲食店が潤うほどの力強さはないのだということが感じられた。

姫野 桂 フリーライター

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ひめの けい / Kei Himeno

1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。

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