聞く人が疲弊「自分を大きくみせがちな人」の特徴 自慢話ばかり話していると相手も疲れてしまう
人によって感じ方はさまざまかもしれませんが、私は、自分を大きく見せようとしないことは、話しやすいと思われるうえで、非常に重要なファクターではないかと考えています。
では、自分を大きく見せようとする人は、なぜ、どのように相手を疲れさせてしまうのか、もう少し詳しくお話ししましょう。
自分を大きく見せようとする人は、会話の中に「自分はいかに頭がいいか」「自分はいかにものを知っているか」「自分はいかに仕事ができるか」「自分はいかにお金を持っているか」「自分はいかに人気があるか」「自分はいかにすごい人と知り合いであるか」といったことを、ちょくちょく盛り込んできます。
実際に仕事ができたり、お金などを持っていたりいる人の場合は、「自慢をしている」ということになり、そうでない人の場合は、「嘘をついている」「話を盛っている」もしくは「自分の実力を高く見積もりすぎている」ということになりますが、いずれにせよ、「相手に、自分を高く評価してほしい」という気持ちが強いことに変わりはありません。
そして、自慢であろうと嘘であろうと、その話を聞かされる相手はひどく疲れてしまいます。
まず、自分を大きく見せようとする人は、往々にして、会話の相手を「自分の観客」にしてしまう傾向があります。
相手に口を挟む隙を与えないどころか、ほかの人が話しているときに、会話を横取りしてまで「自分がどれほどすごい人間なのか」をアピールし、しかも「否定することは許さない」という空気を前面に出してくることが、しばしばあります。
そうなると、相手はただうなずき、同調することしかできず、嘘や矛盾に気づいても、なかなか疑問を口にすることができません。
その結果、「どうして自分は、こんな話を延々と聞かされ、しかも話を合わせなければならないんだろう」「これは何の罰ゲームなんだろう」という気持ちになり、時間とエネルギーを吸い取られたような感覚に陥ってしまうのです。
中には、そこまであからさまでなく、会話の節々にさりげなく自慢などを盛り込んでくる人もいますが、その場合も、何度も同じ話を聞かされたり、そのからくりに気づいたりすると、相手は「またか……」とだんだんうんざりするようになります。
相手の「共感性羞恥心」を刺激
また、自分を大きく見せようとする人は、相手の「共感性羞恥心」を刺激します。
共感性羞恥心とは、「他人が失敗をしたり、恥をかいたり、非難されたりしているのを見たときに、まるで自分のことのように恥ずかしくなってしまう心理」のことです。
「自分を大きく見せたい」「相手に、自分を高く評価してほしい」という気持ちは、ほとんどの人の中にあるのではないかと思います。