日本で「両利きの経営」が大注目された根本理由 実務家が学ぶべき「経営理論」という共通言語
そこで3年目は抽象化意欲を抑えて、試験勉強に徹して、上位で合格できました。だから、いろいろな現象の背景にある抽象的、普遍的な原理原則を考えるほうに、自分の好奇心が向くようです。ただし、具象に深くかかわっていないと、抽象化のインスピレーションも湧かないのも事実で、そこは経営学者も同じかもしれません。
入山:そうですね。私は最近、いろいろな会社の社外取締役をお受けするようになったので、そうした現場の知見はとても役に立ちます。
冨山:自然科学は、実験でそれと同じことをやっています。仮説を立てて、実験でデータを見ると、「あれっ、違うな」と思う。梶田隆章さんのニュートリノの発見をはじめ、ノーベル賞はたいていそこから出ています。具象と抽象を行ったり来たりさせるのは、頭の働かせ方としては自然だし、気持ちいい。
入山:そうですよね。となると、そういう人材が、日本には足りないということになるのでしょうか。
抽象化して考える訓練の重要さ
冨山:ひょっとすると、そういう快感を知らない人が多いかもしれません。抽象の中だけでグルグルしている学者もいるし、具象の中だけになる人もいるので。たとえば、国際会議で日本の経済人は、「うちの会社では」「日本では」と限定して話す人が多い。しかも、「参考にならないと思いますが」と前置きを入れてしまう。
忙しいのにわざわざ来た聴衆にとって、それを言われたら、話を聞く意味がない(笑)。あなたの会社の個別具体で「N=1」のことだとしても、普遍的なインプリケーションがあるはずで、そこは抽象化して言わないと、みんな帰ってしまいます。
入山:その状況はよくわかります。ただ、私の周りにいる良い経営者の中には、言語化能力が高くて、社内のことを普遍化して話せる人もたまにいて、すごいなと思うこともあります。今の時代には、人材の流動性も高まっているので、社内であっても具体だけで通用しません。抽象化して考える訓練は大切ですね。
[構成:渡部典子]
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら