「AかつB」のほうが低確率なのにありえると思う訳 人間の非合理さを露呈させる簡単な予測の問題

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だがそれは確率の基本原則である「連言規則」──2つの事象の連言(AかつB)の確率は、どちらか一方(A、B)の確率より小さくなる──に反している〔連言とは2つ以上の文が「かつ」「そして」などでつながった命題のこと。合接、論理積ともいう〕。

たとえば、カードの山のなかからスペードのカードを引き当てる確率は、偶数のスペードのカード(偶数かつスペード)を引き当てる確率よりも高い。スペードのなかには奇数のスペードもあるのだから。

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4つの可能性の比較に戻るが、いずれも第2のシナリオは2つの事象の連言で、その2つのうちの1つが第1のシナリオになっている。たとえば、「イランが核実験を行い、それに対抗してサウジアラビアが核兵器を開発する」は、「サウジアラビアが核兵器を開発する」場合の一部にすぎず、サウジアラビアが核兵器を開発するかもしれないシナリオはほかにもある(イスラエルに対抗する、ペルシャ湾地域の覇権を誇示するなど)。

なぜ逆になる?

したがって第2シナリオの可能性は第1シナリオより低くなる。同じ理屈により、「マドゥロが大統領を辞任する」可能性は、「一連のストライキと暴動がきっかけでマドゥロが大統領を辞任する」可能性より高くなければおかしい。

では多くの人の答えが逆になったのはなぜだろう? 何をどう考えると逆になるのだろうか? 実は、単文で表される事象は得てして包括的かつ抽象的になりがちで、脳の回路のどこにも引っかからずに流れていってしまう。

一方、複文で表される事象はより鮮明なものになりうるし、なかでも物語風のものは、頭のなかで芝居を見るように想像することができる。直感確率は想像可能性に左右されるので、思い浮かべやすいものほど確からしく思えてしまう。そのせいでわたしたちは、エイモス・トヴェルスキーとダニエル・カーネマンが「連言錯誤」と呼ぶ罠に落ちる。

連言で表された命題が成立する確率が、その連言を構成する個々の命題が成立する確率よりも、高いように思えてしまうという罠のことである。

次ページ生々しい語りで「確率などどこへやら」の予測も
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