上野駅、再注目したい「北の玄関口」の歴史的価値 駅の東側は関東大震災の「復興遺産」が残る下町

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台東区では区役所、旧下谷小学校を中心とし、昭和通り、浅草通り、清洲橋通りに囲まれた東上野4丁目、5丁目のまちづくりガイドラインを2016年に策定。一帯を再整備する構想を打ち出した。

ただこれは、超高層ビルへの建て替えなどを行う大規模な再開発計画ではなく、あくまで歩行者導線の整備や防災対策など、環境整備の基本指針であり、今の町の構造自体を大きく変えるものでもない。

上野公園から上野駅の東側を見る(筆者撮影)

旧下谷小学校の敷地も公共施設の再編、整備のための用地とされているが、上野駅舎と並ぶ震災からの復興遺産として、そのまま活用できないものかと思う。都内では、小学校の統廃合が進んで不要となった旧校舎を文化施設などに活用している例もある。ここは立地条件としては申し分のないところ。建物自体が貴重な存在でもあり、再利用が望まれる。

さらに昭和通りに沿って北へ進むと、街中に突然、現れるのが東京メトロの上野検車区。銀座線用の電車の管理、日常検査を行っている。町の真ん中に広い用地がよく確保できたものと思うが、発足が1927年の上野―浅草間の開業と同時。付近一帯が関東大震災後、大規模な区画整理が行われた時期に当たり、比較的容易に取得できたと言われる。ここも、震災の名残と言えるかもしれない。

“地下鉄の踏切”も上野駅近く

今日、ここは“地下鉄の踏切”で知られる。検車区と上野駅を結ぶ出入区のための線路が一般道を横切っているため設けられたものだ。銀座線は第三軌条式と言い、電車が走る線路の脇に給電用の第3のレールを敷き、そこから電気を採り入れる方式。そのため歩行者が危険にさらされないよう、通常の踏切とは反対に線路のほうを常時、扉でふさいでおき、電車が通る時だけ扉を開ける。

銀座線上野検車区の踏切(筆者撮影)

踏切が動作するのは銀座線の列車が検車区へと出入りする時だけだが、地上だけではなく地下にも留置線があり、そちらを使う場合は踏切は通らない。時刻表で主に朝夕にある上野行き、上野始発の時刻を調べ、その前後を狙っていけば、あるいは珍しいシーンが見られるかもしれない。

地下鉄の踏切から西へ向かえば、すぐ昭和通り。この辺りにはバイクショップが多く軒を連ねていたが、今はかなり減ってしまった。若者のバイク離れ、バイクショップの郊外移転などが原因という。さらに西へ歩くと、鉄道員養成コースで知られる岩倉高等学校の側に出る。JR上野駅入谷口はこの高校の向かいにあり、入谷改札、東上野口へと長い通路が続く。

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土屋 武之 鉄道ジャーナリスト

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つちや たけゆき / Takeyuki Tsuchiya

1965年生まれ。『鉄道ジャーナル』のルポを毎号担当。震災被害を受けた鉄道の取材も精力的に行う。著書に『鉄道の未来予想図』『きっぷのルール ハンドブック』など。

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