日本人がテロとの戦いに組み込まれる可能性 塩尻宏・元駐リビア大使に聞く(後編)

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欧米とリビアの協調路線に進んだころのリビアのカダフィ大佐。写真は2007年7月、トリポリを訪問したサルコジ仏大統領(ロイター/アフロ)

利害と権益によって手のひらを返す英仏 

――塩尻さんは2003~06年に、駐リビア大使を務められました。北アフリカのイスラーム世界と地中海対岸の西欧社会との関係はどのようなものだったのでしょうか。

それまでイスラーム的価値観を強く意識しながら反帝国主義・世界の植民地解放を前面に出した「緑の革命」政策を推進してきたカダフィ政権は、私が大使として赴任していた2003年末には軌道修正して、欧米との関係改善を模索し始めました。具体的には核開発を放棄して、豊富な石油・ガス田の権益を欧米に開放するなど、欧米に受けの良い国になろうとした時期でした。

そのころ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどの首脳がリビアの最高実力者であるカダフィ大佐(革命指導者)を訪れて、親しく抱擁する場面を何回も目撃しました。カナダの首相も来ましたし、私の離任直後には当時のプーチン・ロシア大統領も来ました。当時のG8諸国の首脳で、カダフィ大佐と面会していなかったのは米国と日本の首脳だけでした。

その後、2011年にチュニジアから始まった「アラブの春」の流れに呑み込まれて、カダフィ政権が倒されます。その際に、イギリス、フランスを軸とするNATOの軍事力が決定的な役割を果たしました。最初にリビアを空爆した国はフランスでしたが、当時のサルコジ大統領はカダフィ政権から巨額の選挙資金を受け取っていたとの裏話が伝えられました。イギリスのブレア首相についても同様の話がありました。

資源大国リビアとの関係緊密化を期待してカダフィ大佐との親交を結ぼうとしていた欧米諸国首脳は、カダフィ政権の「改革・開放政策」を信じ切ることができず、もっと話し易い相手が出現することを期待したのでしょう。しかし、現在のリビアは部族や地域勢力が抗争する混乱状態になっています。欧米諸国がしっかりした受け皿を用意しないまま、カダフィ政権を崩壊させたということでしょう。

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