ウクライナでの戦争を歴史家が楽観視しない理由 「1979年の危機」が今世界に突きつける教訓

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フランシス・フクヤマは1989年の盛大な「諸民族の春」を思い出しているが、私は1979年以来感じていなかったほどの大きな恐怖を感じている。

1979年というのは、イランが騒乱に包まれ、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、アメリカのジミー・カーター大統領が悪性インフレに途方に暮れているように見えた年だ。

では、あの年からはどんな教訓が得られたのか? 西側諸国には強力なリーダーシップが必要である、というのがその答えだ。

現在クレムリンにいる独裁者が核戦力をちらつかせたときにも揺らぐことのないリーダーシップ、自由のためのウクライナの闘争が、じつは私たちの闘争であることを思い出させてくれるリーダーシップ、独裁主義の帝国は、周辺の小国を呑み込みながら欲望を募らせていくという、歴史の重大な教訓を指摘するようなリーダーシップが必要なのだ。

1979年は、マーガレット・サッチャーがイギリスの首相に選ばれた年であり、ロナルド・レーガンがアメリカの大統領に選ばれる前年でもあったのは、偶然ではない。

戦争を長引かせてもいいのか

ウクライナの戦争はまだ終わっていない。ロシアはまだ打ち負かされてはいない。プーチンはまだ権力の座から引きずり降ろされてはいない。

ロシアの殺人マシンを止め、この争いに終止符を打つためにしなければならないことは、まだ山ほどあるし、私たちの行動が図らずも戦いを長引かせてしまいかねない筋書きも多数ある。

アメリカの政策立案者のなかには、戦争が引き延ばされるのを望んでいる者もいるのではないかという印象さえ、私は受けている。戦いが続けば、「ロシアは力が尽き果て」、プーチンの失脚につながるだろうと勘違いしているのだ。

イギリスの劇作家アラン・ベネットの戯曲『ヒストリーボーイズ』では、オックスフォード大学への進学を目指す田舎の生徒の1人が、教師に歴史を定義するように言われる。「しょうもないことのたんなる連続」と生徒は答える。より厳密に言えば、歴史は惨事のたんなる連続のように見えることもありうる。

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