どんな衝突でも、「殺す権利」は誰にもない 仏紙襲撃、本当の問題点はなにか

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表現の自由を制限することはわれわれ自身の社会を弱体化させる。われわれの社会の基礎となる自由を制限すれば、殺人者たちの思うつぼだ。

各国政府は、ジャーナリストが書きたいものを書く自由と、彼らの書いたものに同意もしくは反対する市民すべての自由を擁護しなければならない。自己検閲はジャーナリストの自由を損ない、言論の自由に対する圧力となりかねない。

言論の自由とは、自身の信じるところを暴力に訴えることなくはっきり述べる勇気を意味する。漫画を出版したかどでジャーナリストを冷酷に鋭撃することは、おぞましい犯罪だ。しかし、その信条を理由にモスクやイスラム教徒を攻撃することもまた同じである。

反対者を殺す権利は誰にもない

言論の自由と宗教に対する敬意とのバランスをどう保つかという非常に倫理的な問いについては、激しい議論の余地があろう。しかし、議論の武器となるのは兵器ではなく言葉だ。カラシニコフ(自動小鋭)ではなく、キーボードであるべきだ。反対意見を述べる者を殺す権利は誰にもない。

数百万人が参加した1月11日のパリの行進は、壮大な連帯と平和の表現であった。急進主義の脅威への対応に際し、あらゆる指導者および立法者が、こうした理想に沿うよう尽力せねばならない。

パリにおけるテロリストの攻撃は、報道の自由および自由一般を擁護するうえでの変革点となるだろう。危機に瀕しているものの正体に数百万人が気づいたからである。われわれは表現の自由を自明のものととらえてはならない。たとえ表現されたものに反対する場合であっても、その自由を擁護せねばならない。

週刊東洋経済2015年1月24日号

アナス・フォー・ラスムセン 元NATO(北大西洋条約機構)事務総長

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元デンマーク首相。ラスムセン・グローバルの創立者であり会長を務める。

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