築堤活用も開発の鍵、JR東「高輪ゲートウェイ」 すべて解体せず一部保存、街のストーリーに
文化創造棟は建物だけでなく、そこで何をするかが問われる。そのため、日本科学未来館のキュレーターとして未来をテーマに科学、テクノロジー、アートなどの展示プロジェクトを手がけてきた内田まほろ氏を準備室長に迎え、文化創造棟におけるプログラムを企画・運営する一般財団法人を設立した。「未来、多様な文化、伝統の更新という3つの柱を回しながら文化創造の活動をしていきたい」と内田氏は意気込む。
もう一つの違いは目を凝らして見ないとよくわからないが、実は重要な変化である。文化創造棟の隣にある高層複合ビルの位置がほんの少しだけ線路側にずれているのだ。今回発表されたイメージパースを見ると、それまであった高層複合ビルと線路の間の植え込みが消えている。その分だけビルの位置が移動した。
変化の理由は「高輪築堤」
なぜこのような変化が生じたのか。その理由は2018年9月から現在までの間にこの場所で何が起きたかを考えると一目瞭然だ。
2019年4月、工事現場で古い石積みが発見された。1872年に日本初の鉄道が開業した際、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物「高輪築堤」の一部だった。そして、2019年11月に実施した山手線と京浜東北線の品川駅線路切り替え工事後に発掘調査を行ったところ、南北に長い高輪築堤跡が確認された。
江戸時代、東海道として知られていた現在の第一京浜国道は海岸線を走る幹線道だった。つまり、現在JR東日本が開発を進めている高輪ゲートウェイ駅の一帯は江戸時代には海だった。
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