上野駅公園口、歩行者動線「新駅舎」で大幅改善 「鉄道」「地形」どちらのファンにも見どころ多数

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それが北側の通称「大連絡橋通路」に直結する側に移された。その位置ならば、動物園へつながる道路にまっすぐ出ることができ、真正面に正門が見える。わずかな移動かもしれないが、上野公園の「メインストリート」がこれで誕生したとも言える、大きな改善であった。

不忍口から出て、上野のシンボルである西郷隆盛像のところまで階段を上るのは、高齢者などにとってはかなり苦痛だろう。ならば、各ホームからエスカレーターを使って大連絡橋通路へ上って公園口に出たほうが、はるかに楽でわかりやすい。

歩行者にやさしい駅前に

さらに画期的であったのは、JR上野駅の改良に合わせた東京都と台東区の施策で、上野駅の西側を南北に通っていた一方通行の車道を、公園口改札の前で分断。上野公園口広場を建設したこと。以前は抜け道に使われ、自動車の通行が決して少なくはなかった道路で、歩行者にとって大きな障壁となっていたのだが、自動車を物理的に駅前から排除したのである。中途半端な歩行者天国にするのではなく、断固たる意志を行政は示したと思う。

ロータリー化された公園口前(筆者撮影)
公園口側は自動車の通り抜けを物理的に排除した(筆者撮影)

分断後は南北それぞれにロータリーを設け、バス乗り場やタクシー乗り場を配した。駅への自家用車への送迎は可能としたが、上野公園や駅に関係のない通り抜けの自動車はきれいにいなくなり、安全で快適な散歩道が出来上がったのだ。東京国立博物館や国立西洋美術館などが集まる、東京の文化・芸術の中心地を訪れるにふさわしい空間を構築したとして評価したい。

明治時代、上野公園では3回の「内国勧業博覧会」が開かれ、名称の通り、最新技術を集めて展示し、日本の産業発展に大きく貢献した。そのうち1890年の第3回では、アメリカ合衆国から輸入された「電動客車」が出品され、約310mの線路を仮設して、デモンストレーションを行った。これが日本で初めて走った「電車(電動客車の略として定着)」である。上野は、現代の日本の鉄道における圧倒的主流である、電車の発祥地でもあるのだ。

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