「たとえば、文字ひとつとっても、そういうことが言えるわけや。いま、われわれは、文字としては、漢字とひらがなとカタカナというものを使っておるわな。その漢字というものは、言うまでもなく、中国から入ってきた。その漢字が入ってくるまでは、日本には、文字らしい文字はなかったと言われておるわね。そういうところへ漢字が入ってくれば、それをそのまま日本の文字として使い、漢字一色ということになっても不思議ではないと、わしは思うんや。ところが、実際には、そうはならんかったわけや。その漢字を基にして、いつの間にか、日本の言葉に合わせたひらがなやカタカナを創り出し、それを漢字と合わせて使うことにした。それによって、読み書きが非常になった」
受け入れつつ鵜呑みにしない日本文化に、何を思う
「誰やったかな? 山本七平先生か、あの先生の話を聞いたけど、ひらがな、カタカナは、日本人の最高の発明だと。日本文化を一言で言えば、『カナ文化』である。カナ文化が存在しなかったら、日本も存在しなかったと、こないだ、話しをされてたな。
結局、漢字という外国の文化を受け入れたけれども、それをただ鵜呑みにするだけでなく、日本の実情に合わせて、よりよいものに作り上げていったわけで、そこには、日本の伝統精神の、主体性を失わない、自分を決して捨てない、すなわちやね、主座を保つというところがはっきりしとるわな。
宗教もそうや。6世紀頃に百済から仏教が伝えられたと言われておるけど、それが、次第に日本の隅々といっていいほどに広まり、日本の文化を形成するようになったわね。しかし、それはそれまでの日本固有の考え方とか、伝統なりが良くないから、そういうものを捨てて、その代わりに仏教を取り入れたのではない。むしろ、それまでの神道というか、そういうものを、しっかりと保持しながら、むしろ、仏教に神道が影響を与えておる、実際はね。
仏教を取り入れた国には、今までの自分たちの宗教や古来の考え方を捨ててしまった国もあるようやけど、日本は違うな。キリスト教も、取り入れるけど、日本化していく。儒教も日本化していく。
聖徳太子さんな、偉い人やで。当時の中国は先進国や。大国や。その相手に対して決して卑屈になることなく、独立国としての主座をもって、対等に友好親善を求めていこうという気概を、太子さんがはっきりと持っておったな。
まあ、明治以降も、いろいろあったけど、日本は日本。そういう自主自立の気概というか、決して、根底にある日本を捨てん、という、それが、また日本の伝統精神と言えるわ。
まあ、きみも、こういう日本の伝統精神を心において、経営をしたら、どんどん、ええ成果が出てくる。しっかり、やってくれや」
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