開発凍結の「スペースジェット」。協力会社の不満は限界にきていた。
「『スペースジェット』の仕事はもう来るものとは思わないでほしい」
2020年11月、名古屋市にある三菱重工の航空機関連拠点では、それまで三菱重工を支えてきた取引先メーカーの幹部が一堂に集められていた。そこで三菱重工の担当部長は非情にもそう通告。当日会場にいた、あるサプライヤー幹部は「やっぱりそうか」と、肩を落とすしかなかったという。
陸海空で戦後ニッポンを支えてきた三菱重工。同社が威信を懸けて目指したのが国産初のジェット旅客機だった。08年の全日本空輸(ANA)からの大量注文を受けて、子会社の三菱航空機を設立し事業化を決定した際、初号機の納入は13年後半を予定。日本が独自の旅客機を開発するのは、プロペラ機「YS11」以来約50年ぶりで、国も後押ししていた。
だが、夢は暗転した。設計変更や工程見直しなどで6度延期を繰り返し、予定から7年以上過ぎても商用飛行ができないまま、開発凍結に追い込まれた。三菱重工の泉澤清次社長は昨年10月の記者会見で「開発状況と市場環境を踏まえ、M90(スペースジェット、90席)の開発活動はいったん立ち止まる」と、言葉を一つひとつ選びながら慎重に話した。
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