10年前に統合構想が破談になった三菱重工業と日立製作所。その後に両社がたどった明暗から、製造立国・日本の生きる道を探った。
「日立・三菱重工 統合へ」──。約10年前の2011年8月4日の日本経済新聞1面。日本の製造業を代表する総合電機と総合重工業の両トップが13年春に新会社を設立し、発電プラントから鉄道システム、産業機械、IT(情報技術)まで網羅する世界最大規模の総合インフラ企業が誕生するというスクープ記事だった。
11年3月の未曾有の東日本大震災で傷ついていた日本の産業界。当時は国際競争力強化には国内企業の再編が必要との認識が多く、両社の動きを歓迎する声が政官財から相次いだ。しかし、同日午後に発表されるとの報道だったが、実現しなかった。両社はその後も主導権などをめぐり対立し、統合構想はあえなく破談となった。
時価総額は日立が倍増
それは日本の製造業の岐路でもあった。両社はそれまで国内の電力や通信の成長に合わせて伸びる“GDP(国内総生産)企業”の象徴だった。だが、国内は震災で電力不足となり、世界も中国の台頭やデジタル化の進行で大きく変化する中、ビジネスモデルを変える必要が出ていた。破談によって変身を速めた日立製作所と、変身できない三菱重工業。両社はまさに対照的な道を歩む。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け