「牛の糞まみれの沼」に潜ってわかった意外な世界 ありえないほど美しく、恐ろしい「水中洞窟」
足の下になにが隠れているのか見ると覚悟する前に、興奮と恐怖のバランスを整えるために少し時間をおいた。自分を落ち着けると、両方の肺、お腹、両肩、すべてを大きく動かし、息をできるだけたくさん吸い込んだ。池に浮かんでいるゴミを両手で払いのけて、腰を落とし、足を頭の上に蹴り上げ、くるりと回転した。
2回蹴ったところで、悪臭を放つ、生ぬるい水を通り抜けて、冷水の層に入り込んだ。11フィート(約3.35メートル)潜ったあたりで岩と岩の間に隙間を見つけたが、徐々に高くなる水圧に耳を慣らすためにあごを左右に動かしつつ、奥へと進み続けた。
手首に装着したダイビング用コンピューターのスモールライトを照らした。水深30フィート(約9.1メートル)で、広い空間の天井から突き出た牙のように尖った岩をつかんだ。漆黒の闇の先へと伸びるトンネルの輪郭は、かろうじて見える程度だった。
誰も到達したことがない場所に行くと考えると、指先から足の先までアドレナリンが勢いよく流れ、ぞくぞくするような緊張状態をもたらした。把握できる情報を可能な限り頭の中にたたき込み、洞窟内部の詳細を記憶していった。洞窟内の壁には、天井から下がる鍾乳石によって曲がりくねる線が刻まれていた。
戻る必要があるとの警告を示す胸の痙攣がはじまるまで、私は少しでも長い間、洞窟の入り口付近に留まろうとしていた。岩の柱を手放すと、筋肉の緊張をほぐし、水面に向かって浮上した。ひどく匂う水の層を抜け、大きく息を吸い込んで、「見つけたわよ!」と大声で叫んだ。初めての、私の海中洞窟だ。
「なあジル、最悪じゃねえか」
それから数週間後、ポール(のちのジルの夫。洞窟ダイビングのインストラクター)と私は、喉が渇いた牛たちが歩く狭い道に沿って、ごつごつとした岩を登り、牛の糞を踏みつつ進んでいた。
彼は私より12歳年上だったけれど、重いダイビング用機材をたくましい肩に背負って歩いてもへっちゃらだった。ポールはがっしりとした、胸の厚い男性で、学生時代はレスリング選手だった。フロリダ大学を卒業後すぐに開店したスキューバダイビングショップで、重い道具を何年も持ち運んでいたことで、鍛えられていたのだ。
苦労してたどりついたのが小さな沼だとわかったときの彼の落胆は、汗まみれの顔にありありと出ていた。「なあジル、最悪じゃねえか」と、フランス系らしいカナダ人なまりで彼は言った。「洞窟の水は、この泥水よりはマシだといいけどな」。
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