SUBARUと酪農、徳川吉宗が交差する「嶺岡牧」とは 大手乳業ともつながる里山スタジオの地の利

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スバル「フォレスター」で「千葉県 酪農のさと~日本酪農発祥の地」を訪れた(筆者撮影)

「里山をそのまま生かした自然の中で、メディアがクルマを撮影できる場所」

こうしたコンセプトに掲げて、SUBARUが2021年8月に開設した「SUBARU里山スタジオ」(千葉県鴨川市)の敷地内には、放牧や酪農の歴史が深く刻まれた「嶺岡牧(みねおかまき)」がある。

この嶺岡牧とはなにか。詳しく知るために、SUBARU里山スタジオにほど近い「千葉県 酪農のさと~日本酪農発祥の地」を訪問した。

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酪農のさとの資料によると、嶺岡牧の起こりは、戦国時代に10代170年間にわたり安房の地域を支配していた里見氏が、軍馬を育成するために作った放牧場だ。それを慶長19年(1614年)に、徳川幕府が里見氏から没収した。

江戸幕府の直轄下となった牧は全国に4カ所あり、嶺岡牧のほか、現在の千葉県内には市川市から野田市周辺にかけての「小金牧」、佐倉市から成田市周辺の「佐倉牧」、そして山梨県甲府市周辺の甲斐国「甲府牧」がある。

その中で、嶺岡牧が歴史上で大きな注目を集めている理由として、酪農に関する歴史的な事実がある。8代将軍、徳川吉宗公が享保13年(1728年)にインド産の白牛(ゼブー種)を輸入し、その乳から「白牛酪」という乳製品を製造したことが、日本の酪農の原点であるという解釈があるのだ。

明治や森永乳業もこの地で生まれた

そして時代が進み、明治維新を経て、嶺岡牧の周辺の有力な農民などが中心となって、地域全体で酪農を行う事業を立ち上げたというわけである。そうした事業が転換する中で、のちに乳製品事業の大手となる企業の原点も嶺岡牧周辺に誕生した。

たとえば、株式会社 明治の場合、1906年創業の明治製糖が房総煉乳(れんにゅう)に資本参加。1920年に明治製糖の傘下にあった東京菓子の煉乳部として合併し、1924年に明治製菓が生まれる。房総煉乳は、房総半島南部の4つの煉乳所や製酪所が、1916年に合併した企業だった。

こうした流れに加えて、極東煉乳に経営を委任し、1940年に明治乳業となる。(明治・広報部提供の資料より筆者抜粋)

また、森永乳業株式会社の場合は、森永製菓株式会社の社長、森永太一郎氏が1917年9月に、現在の鴨川市内である安房吉尾にあった愛国煉乳合資会社を買収し、同時に東京田町に日本煉乳株式会社を設立したのが始まりだ。

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