永田町に大波紋「菅氏、表舞台で再始動」の裏事情 「反主流派連合の旗揚げ」との臆測が飛ぶ騒ぎに

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自民党総裁選告示を2週間後に控えた9月3日朝、当時首相だった菅氏は「戦う気力がなくなった」と唐突に退陣表明した。岸田派領袖の岸田氏が総裁選出馬表明で総裁選実施が確定する中、「任期中はコロナ対策に専念する」との理由だった。

しかし、7月の東京都議選での自民敗北や8月下旬の横浜市長選での菅氏腹心の惨敗などで、自民党内には「菅さんでは衆院選は戦えない」との声が噴出。「菅vs岸田」の総裁選となれば菅氏の敗北は必至とみられる中での無念の撤退だった。

さらに菅氏は総裁選で、当初本命視された河野太郎氏(現党広報本部長)を担いで戦った。しかし結果的に安倍、麻生、甘利、茂木各実力者や谷垣グループによる「河野包囲網」の前に、河野氏支持グループは総裁選で完敗し、岸田政権誕生で「冷や飯生活」を余儀なくされてきたのが実態だ。

再登板否定も、政策実現への意欲隠さず

その菅氏が、年末になって積極的にテレビ、ラジオ出演に応じ、存在感をアピールし始めた。無念の退陣表明からすでに約4カ月。各種インタビューに答える菅氏の言動には、「まだまだやるべき仕事はある」との気概があふれ、来るべき「ポスト岸田」で改めて河野氏を担いでの主導権確保への意欲も隠さない。

昨年12月6日に73歳となった菅氏は、相次ぐインタビューの中で再登板の可能性は「まったくない」と笑顔で否定。その一方で、首相在任中に推進したデジタル化や気候変動危機へのカーボンニュートラル戦略、さらには沖縄対策などの政策実現への意欲はアピールする。

「政治的に終わった人」とされてきた菅氏の存在感を改めて際立たせたのは、昨年12月の臨時国会閉幕直後22日夜の2つの会合だった。

1つは安倍、麻生、茂木の3大派閥トップの会合で、3氏は一致して岸田政権を支えていくことを確認したとされる。しかし永田町で注目されたのは、同時進行で開かれた菅、石破両氏を中心とした会合だった。

主催者ながら欠席を余儀なくされた二階氏の代理として同氏最側近の林幹雄元経済産業相、二階派幹部の武田良太前総務相、森山派の森山裕総務会長代行が参加したからだ。菅氏と林、武田、森山各氏は菅政権時代の親密な仲間。これに石破氏が加わったため、永田町では「すわ、反主流派連合の旗揚げ」との臆測が飛び交う騒ぎとなった。

石破氏ら出席者は「総裁選の反省会」などとはぐらかしたが、いずれも反岸田の立場で河野氏を支持した面々。詰めかけた記者団に「我々の一体感は続いている」などと思わせぶりに語る参加者もいた。

菅氏のメディアへの露出が一気に注目され始めたのはこの会合がきっかけ。菅氏は12月24日の民放BS番組で河野氏について「突破力、国際性に期待して応援した気持ちは今も変わらない」と明言。ポスト岸田には河野カードを掲げて挑む意向をにじませた。

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