シンガポールから規制大国日本への挑戦状《新しい経営の形》

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 医薬品の取り扱いは02年から開始した。妊娠検査薬など店頭では買いづらい医薬品が売れ筋となっている。購入時に、年齢や服用に際しての禁止事項など、チェックボックスを設けて確認する。副作用などの問題は開始から1件も起きていない。

目標は「ネット通販の『健康』というカテゴリーでトップ企業になる」(後藤社長)こと。順風満帆で突き進むかのように思われた。が、突如横槍が入った。それが、まさかの国からの規制だった。

そもそもの発端は04年。厚労省が医薬品ネット販売の制限に関する通知を出した。対応のためネット通販企業は日本オンラインドラッグ協会を設立。しかし08年の医薬品通販の検討会に招かれたのは、ドラッグストアの業界団体、日本チェーンドラッグストア協会などに限られた。ネット業者など医薬品販売の新興勢力は蚊帳の外に置かれたまま、通販規制の省令案が固まっていく。

初めて厚労省で反論を唱える機会が与えられたのは、09年2月の検討会。省令施行のわずか4カ月前だ。楽天の三木谷浩史社長らと反対の論陣を張ったが、医薬品のリスクを盾に対面販売を主張する規制賛成派と議論は、終始平行線をたどる。最後まで妥結点を見いだせず、結局、医薬品通販は禁止となった。

「既得権益を守るために無理矢理作った法律」。後藤社長は行政訴訟に踏み切る。だが今年3月の一審判決は敗訴。「ドラッグストアで医薬品を買っても、ポイントカードはありますか、と聞かれるだけ。ネットと対面販売とで、情報提供に優位な差があるとは納得いかない」(後藤社長)と、控訴した。

ユーザーからの規制反対の声も後押しした。ケンコーコムで「ストップ・ザ厚労省」と題して意見を募集したところ、規制後の半年間で700件の反対意見が集まっていた。

後藤社長の徹底抗戦はそこで終わらなかった。09年9月、今度は“攻め”へと駒を進めたのだ。


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