「サイボーグになって幸せです」61歳科学者の肉声 「ネオ・ヒューマン」著者独占インタビュー:前編

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これはルネサンス(再生)であり、生まれ変わりです。私は現在進行形で変身しているのです。

私は障害者(disabled)と呼ばれることを、とてつもなく誇りに感じています。しかし実際のところは、「能力を奪われた(dis・abled)」というより、「能力を超越した(trans・abled)」人間なのだと思っています。

自分のことを「ハンディキャップ(不利)」のある人間だとは決して思いません。「健常者でない」とも思っていません(幼いころから「まともじゃない」とは言われつづけてきましたが)。ただ、これまでの私とは違う。それだけのことです。

「ピーター2.0」は「ヒトよりも優れた点」が多い

例えば、私は寝ている間にも食べたり飲んだりすることができます。一方で、急に用を足したくなって夜中に起きたりすることはなくなりました。高速道路で途中休憩をする必要もありません。実際、最後にトイレに行ってから、もう何年も経ちます。

にもかかわらず、私の体内の水分は、24時間365日、最適なレベルに保たれています。そのために、濡れた布を口と鼻に当てていますが、その状態でも問題なく呼吸ができます。風邪のウイルスが体内に侵入することはまずありませんし、まして胸まで広がることなどありえません。

さらに、私はどんな言語でも、口を閉じたままはっきりと話すことができます。プロの歌手よりも広い音域で歌うことができます。

どんなに長いスピーチでも瞬時に記憶し、思い通りの伝え方ができるようになるまでリハーサルを行い、毎回ミリ秒単位のズレもなく、同じ内容を繰り返すことができます。それに、私のアバターの髪は、決して乱れることがありません(少なくとも私がそう望まないかぎりは)。

そして、私の能力は2年ごとに倍になり、80歳になるころには1000倍になっているでしょう。といっても、「ピーター2.0」の人格は年を取らないのですけどね。

では、こうしたことができない人と、私のどちらが「健常」ということになるのでしょうか?

何が言いたいかというと、サイボーグになりつつある私のQOLは、従来のものさしでは測れないということです。そこには愛があり、楽しみがあり、希望があり、夢があり、目的があります。

そしてもちろん、私はまだ生きています。つまり、本当の意味で生き生きしているということです。生ける屍のように、ただ生きながらえているのではなく、人生を謳歌しているのです!

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