「首しか動かない」難病克服した行司の壮絶な体験 治療して土俵に復帰「65歳まで細く長くやれれば」
行司を務められる喜びに加え、励みとなる後押しもあった。
かねて支援してくれた後援者、エド川薬局が復帰を祝って装束を贈ってくれた。デザインは、勘太夫が自ら担当した。1年半かけて仕立て、今年の夏場所で初披露した。
上半身などに5色のトンボがあしらわれている。前にしか飛ばない「勝ち虫」として相撲界では特に縁起がいいとされ、浴衣地のデザインに組み込む関取衆も多い。勘太夫は左右の羽の大きさに工夫を凝らし、横綱土俵入りの「雲竜型」と「不知火型」を表現したというこだわりの装束だ。
日ごろは東京・荒川沿いを自転車で往復するなど、下半身強化に努めており、100%の体調回復まで少しずつ歩みを進めている。リハビリ期間とコロナ禍が重なったため、常に用心してきた。
ワクチン接種に慎重になった理由
今年7月には、米食品医薬品局が、米ジョンソン・エンド・ジョンソン製の新型コロナウイルス感染症のワクチン接種により、ギラン・バレー症候群の発症リスクが高まる可能性があると発表した。ギラン・バレー症候群は大半の人は完全に回復する。米国の例ではあったが、当事者としてはワクチン接種に慎重にならざるを得ない。熟考の末、ワクチン接種に踏み切り、発熱などの副反応もなし。前向きに、九州場所へ向けて体調を整えている。
病気を経験し、仕事へ向き合う気持ちには少し変化も表れた。「やる気がないわけじゃないんです」と前置きし、勘太夫はこう続ける。
「偉くなりたいとかそういう気持ちは一切なく、65歳まで細く長くやれればいいという気持ちですね。(定年まで)まっとうすることが夢ですね。欲は頭の別のどっかにいっちゃっています。寝たきりで首しか動かなかったので、こうやって歩いてご飯を食べられるのが不思議ですよ」
行司の世界は、基本的には年功序列。定年は65歳。行司なら誰でも、最後は立行司になることを夢見る。式守伊之助をへて、木村庄之助を襲名することが、何よりの名誉だ。
12代式守勘太夫-。端整な顔立ちに、張りのある声、そして背筋が伸びる美しい所作。行司としての華がある。
勘太夫は今、出世に目を向けるより、目の前を生きている。
(取材・文/佐々木一郎)